「七夕って日本の行事じゃないの?」と疑問に思ったことはありませんか。
実は七夕は中国発祥の文化が日本で独自に進化した行事です。
この記事では、
・七夕の本当の起源
・織姫と彦星の物語のルーツ
・短冊や笹に込められた意味
をシンプルに解説します。
読み終わる頃には、七夕の見方が少し変わるはずです。
七夕は笹にお願い事を書いた短冊を吊るす行事という印象が強いですね。
2014年の七夕は7月にしては過去最大の台風8号が接近中という
夜空を見るには最悪の天気です
台風が過ぎた後なら空にある汚れや雲を全部吹き飛ばしす、台風一過の後なので最高なんですが(−_−;)
七夕をしている国は中国、台湾、日本、韓国、ベトナム
もともと中国の行事でだったんだけど
奈良時代に日本に伝わり、
元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。
日本は島国のせいか他のアジア圏の国とは考え方が違うみたいです。
大陸だと水は全てを押し流す悪いものとして扱われることが多い。
中国だと黄河とかあるけどあれが氾濫したら大変だもんな〜
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まとめ
七夕のポイントを整理するとこうなります。
- 起源は中国
- 日本で独自に進化した行事
- 3つの文化が融合している
- 短冊はもともと糸の代わり
- 色には意味がある(陰陽五行説)
七夕はただのロマンチックな日ではありません。
文化・信仰・願いが詰まった奥深い行事です。
少し見方を変えるだけで、いつもの七夕が面白くなります。
今年は短冊に「意味」を込めて書いてみると、体験の質が変わりますよ。
七夕はどの国が発祥ですか?
中国、五節句の一つと
結論から言うと、七夕の起源は中国です。
理由
奈良時代に、中国の行事「乞巧奠(きこうでん)」が日本へ伝わったためです。
具体例
・中国:裁縫や手芸の上達を願う行事
・日本:宮中行事として取り入れられる
その後、日本独自の文化と融合し、現在の七夕になりました。
して奈良時代に日本へ伝わりました。
短冊に願い事を書いて笹へ飾り付けるのは日本独自の風習
江戸時代に始まった当時、皇族の宮中行事として行われていたようで、書の良しあしを競うという一面もありました。
江戸時代は七夕飾りは屋上に飾っていたそうです。
七夕の由来:3つの文化が混ざってできた
現在の七夕は、次の3つが組み合わさって成立しています。
- 織姫と彦星の七夕伝説(中国)
- 乞巧奠(きこうでん)(中国)
- 棚機(たなばた)(日本)
理由
日本の伝統行事は、外来文化と融合して発展することが多いためです。
具体例
七夕も単なる恋愛伝説ではなく、
信仰・技術祈願・神事が混ざった行事になっています。
七夕は本来「七夕(しちせき)の節句」という、日本の五節句の一つです。
日本の古来からある行事は、外来(多くは中国)の風習と結びついているものが多いのですが、七夕もやはり、いくつかの風習がミックスされたものでした。
- 織姫と彦星で有名な七夕伝説
- 中国の乞巧奠(きこうでん)
- 日本の棚機(たなばた)
現在の七夕の行事(笹に短冊をつけて飾る等)の元になったのは、大きく分けてこの3つだと言われています。
それぞれを詳しく見ていきますね。
七夕伝説あらすじ
七夕の話は2000年前くらいに作られた話で彦星(ひこぼし)と織姫(おりひめ)の話です。
織姫(織女星)・彦星(牽牛星)の恋物語。
中国では「織女(しょくじょ)」と「牽牛(けんぎゅう)」と言います。
また、中国では織姫は「天帝」という創造主の娘であり、二人は身分違いの恋をしていた事になっています。
余りにも織姫と彦星がイチャイチャし過ぎて、織姫が機織りをやめてしまうのです。
怒った天帝が二人を引き離したというのが中国版のようです。
子供向けに話すとしたらこんな感じ
織姫という神様の娘は機織りが上手く働きもので気立ての良い娘がおりました。 ひとりぼっちで寂しそうな織姫にある日神様は牛飼いの青年、彦星を織姫に紹介しました。 二人は恋いに落ち、神様は二人の結婚を認めたのでした。 ところが二人は結婚するといちゃいちゃするばかりで一向に働きません。 仕事よりも夫婦生活を優先するようになったので神様は怒って二人を引き離します。 天の川の両岸に引き離し、一生懸命働けば1年に1回会う事を許すと告げます。 二人は働きながらその日を待ち、1年に1度7月7日、七夕の夜にだけ会う事が出来たのでした。
織姫と彦星の物語の本当の意味
七夕といえば「織姫と彦星の恋物語」です。
結論
この話は恋愛だけでなく「働くことの大切さ」を伝える教訓です。
理由
2人は恋に夢中になり、仕事をしなくなったため引き離されました。
具体例
・織姫:機織りをやめる
・彦星:牛の世話をしなくなる
→結果、天帝が怒り2人を離す
その代わり、
年に1回だけ会える(7月7日)という約束が与えられました。
日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説
旧暦の7月15日に、水の神が天から下りてくると言われ、川、海、池のほとりに棚の構えのある機を用意して、その村で選ばれた穢れ(けがれ)を知らない乙女(棚機津女)が、神聖な織物(神が着る服)を織って、捧げていたそう。
棚機津女は、村の災厄を除いてもらうために、棚にこもって、天から降りてく神の一夜妻になり、神の子を身ごもり、彼女自身も神になると言うお話なのだそうです。
日本では水は穢れを流す神聖なものとして扱われます
海、一つ挟んでいると考え方が変わるものですね
日本の七夕は本来の彦星、織姫の話と棚機津女の話が混ざっているそうです。
棚機津女は、水辺で機を織りながら神の訪れを待つ少女のことで。
『日本書紀』は、ニニギ命(瓊瓊杵尊)の妃となるコノハナサクヤ姫(木花開耶姫)を、
「神代下第九段一書第六」において、「かの先立つる浪穂の上に、
八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉も、もゆらに、機織る少女」というように棚機津女として描いている。
中国の織姫、彦星とは少し違うそうです
日本の「棚機(たなばた)」とは何か
七夕には日本独自の文化も含まれています。
結論
棚機とは、神様に捧げる織物を作る神事です。
理由
古代日本では、水辺で神を迎える儀式が行われていました。
具体例
・選ばれた乙女(棚機津女)が機を織る
・神に布を捧げる
・災いを払う祈り
この文化が、七夕と結びついたとされています。
中国の乞巧奠(きこうでん)
乞巧奠は旧暦7月7日に行われ織姫にあやかって女子が手芸・裁縫などの上達を祈ったもの。
乞巧は巧みを乞う、奠には崇める・祀るという意味があり
櫓をたててお供物をする風習がありました。
日本には奈良時代に伝わったのですが、宮中の女性達は、織女の織る布が美しかったことから7月7日の織女星が輝く夜にお供え物をして機織りや裁縫などが上手になるように願ったそうです。
なぜ短冊を竹に飾るのか?
昔は乞巧奠、手芸、裁縫が上達するように糸を飾ったのですが
庶民にも七夕の風習が浸透していく中で糸は高価だから紙を使うようになったそうです。
七夕が宮中の行事だった頃には、カラドリ(里芋の仲間)の葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、
その墨を使って梶の葉に文字を書き笹に吊るすと書道の腕が上達すると言われていました。
また短冊が5色なのは中国の陰陽五行説が元となっています。
陰陽五行説とは「木、火、土、金、水の5つの要素が、世の中の根源である」という考えで、
木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は紫と色が決まっています。
それぞれの色に意味があって
- 青は人間力を高める
- 赤は両親や先祖に感謝する
- 黄は人間関係を大切にする
- 白は義務や決まりを守る
- 紫は学業の向上
こんな意味があります。
現在の七夕といえば「短冊」です。
結論
もともとは糸を飾っていたのが、紙に変わったためです。
理由
糸は高価で、庶民には手に入りにくかったためです。
具体例
・昔:裁縫上達を願い糸を供える
・江戸時代:紙(短冊)に願いを書くようになる
こうして、現在のスタイルが広まりました。
短冊が5色の理由【陰陽五行説】
短冊の色にも意味があります。
結論
中国の陰陽五行説が由来です。
理由
万物は5つの要素で成り立つという考え方があるためです。
具体例(色の意味)
- 青:人間力の向上
- 赤:感謝(親・先祖)
- 黄:人間関係
- 白:規律・ルール
- 紫:学業向上
ただ願うだけでなく、意味を考えて書くとより深い行事になります。
七夕はもともと宮中行事だった
現在は一般的な行事ですが、始まりは違います。
結論
七夕はもともと貴族の行事でした。
理由
奈良〜平安時代は、宮中で行われていたためです。
具体例
・葉に溜まった露で墨をする
・梶の葉に文字を書く
・書道の上達を願う
江戸時代になると庶民にも広がり、現在の形になります。
まとめ
七夕の起源は中国、
日本に伝わった時に
- 織姫と彦星で有名な七夕伝説
- 中国の乞巧奠(きこうでん)
- 日本の棚機(たなばた)
が混ざった。
竹に飾る短冊も昔は糸を飾っていたのが
庶民でも気軽に使える紙になった。
また、カラドリの葉から集めた朝露で梶の葉に文字を書き笹に飾ると書道の腕前が上がるとされた。
せっかく紙を飾るのだからこっちに書けばいいじゃんみたいな感じで短冊は広まった。
更に短冊の色は陰陽五行説に基づいています。
織姫と彦星のような
周りが見えなくなるくらいの恋をしてみたいですね
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