何かにつけて自由の侵害を訴える人がいるけど
本質的な問題として自由ってそこまで優先されるものなのか?
と言うとそうじゃない。
少なくとも生命の危険や国防に関する事
社会への影響が大きいものは自由を行使できない。
何をやっても自由というのは野生の世界での話で現代社会では命を守る法律がある。
表現の自由と言えば批判を受けないわけじゃない
表現の自由!と言えばどんな無礼なコンテンツだって美術館に入れられるかと言えばそうじゃない。
他人や故人の人格を攻撃する侮辱するような行為に対しては批判される。
美術館に何を飾ろうが自由ではあるけど当然、批判はされる。
自由はあるけどあからさまな侮辱に対してはカウンターをくらう可能性がある。
自由というのは食うか食われるかの世界になる。
なので表現の自由と言えば批判がかわせるものじゃない。
自由に表現できるという事は自由に批判ができる。
自由とは誰にも縛られない代わりに誰にも守られない。
化学>自由
化学的に正しい事に逆らう自由はない。
何故なら化学に逆らうというの生命の危険に直結するからだ。
外国じゃ子供にヴィーガン食を食べさせない法律があったりする。
それは化学的に成長期に動物性タンパク質をたくさん摂取しないと身長が伸びないからだ
これは化学的に正しく子供の将来に大きく影響する。
いくら親が望んでも子供がヴィーガン食を求めても許されない。
アメリカじゃ新型コロナが流行っていても予防効果のあるマスク着用に反対したりする。
少なくとも他人の生命を脅かす行為に自由はない。
エセ科学、迷信を信じるのは構わないけど、それを他人に教養したり他の説を根拠もなく排除してはいけない。
国防>自由
これも当然と言えるけど、国の存続に関わるような行為は禁止される。
自由を叫んだところで自国の軍事研究を邪魔したり、仮想敵国への軍事技術に転用可能な技術を横流ししたりはできない。
いくらアメリカ軍基地の移転に反対しても日本が動かないのは多数の命が危険にさらされるからです。
国を守るために自由が制限されるのは普通にある。
というよりも、軍事に関しては自由にさせると軍靴の足音が聞こえてくるかもしれないし
フリーのカメラマンが紛争地域に取材へ行くのを禁止させたりするのも自衛隊が出動したり
テロリストと交渉をするのを避けるために当然の処置。
法律>自由
法律というのは社会で快適に生きるため、絶対に守らないといけないルール。
これに違反する自由はない。
なので法律違反をして自由を叫ぶ人なんてのは支持されない。
本当に悪法ばかり、権力者が好き勝手にルールを変更する国ならまだしも
日本では厳格に法律が決まっている。
法律違反の状態でその恩恵が与えられないのは当たり前の話。
法律を無視して好き勝手するのは自由ではなく野放図
自由の前提条件
自由というのは前提条件として他人に迷惑をかけない事。
迷惑というのは相手に大きな負担をかける行為の事です。
歳を取り体が動かなくなれば自由もなくなります。
それは移動するにも排便するにも他人の助けが必要になるからです。
自由であるというのは他人に迷惑をかけない。
ある程度、自分の事は自分で処理できる強さが前提にないと成り立たない。
自分の利益を優先した結果、国や社会に迷惑をかけるのは論外と言えます。
逆に言えば他人に負担をかけない行為、法律を守っているなら何をしても自由。
どんな絵を飾ろうがどんな格好をしようが何を持ち歩こう、どこに行こうが誰も咎めない。
他人に迷惑をかけた時点で自由ではなく好き勝手して迷惑をかけるやつになる。
まとめ
自由を主張してもそれが他人に迷惑をかけるようなもの
国や社会に損害を与えるような行為は批判されるし場合によっては禁止される。
自由というのはあくまでも自分だけで完結する概念で他人の迷惑になる行為を自由と言わない。
他人にはできない事を権力やお金を使ってやれば特権になるだろうし
今回、こんな記事を書いたのは日本学術会議で管総理が6人を任命しなかった事に対して
Twitterで学問の自由が~と叫んでいる人がいてモヤモヤしていたので自分の考えをまとめました。
自由が~と言いつつも日本の軍事研究を邪魔して中国には軍事技術に転用可能な技術や知識を渡していたという事なんだけど
結局、自由と言えば何でも許されるわけじゃなくて国防に関わる問題でなおかつ国民の身体に関わる事であるなら禁止したり役職につかせない
という判断も当たり前なのにさも「学ぶ事が禁止された」と批判するのはやっぱりおかしい。
〇〇の自由が侵害された~と言えば何でもまかり通ると思われているのは本当にやばいと思う。
超えちゃいけないラインがちゃんとあるって事を知っておかないと
ではでは(^ω^)ノシ
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