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誤解されている?【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず 】福沢諭吉の学問のすすめを小学生でもわかる意訳!

福沢諭吉さんは学問のすすめを発表したって軽く歴史の授業で習うけど

 

みんな

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

としか覚えてない。

 

 

実際、さらっとしか学校では教えていないけれど

この学問のすすめは近代史におけるとても重要な事が書かれている。

 

僕が学問のすすめの本当の意味を知ったのはアニメ「化物語」のドラマCDだったんだけど

かなり勉強になった気がして楽しかったのを覚えています。

 

 

 

学問のすすめにある天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずという言葉はものすごく長い文章の始まりでしかない!

 

 

 

 

本質を理解されていない学問のすすめ

 

この最初の文章しかわかってないからトンチンカンなトリビアが生まれたりする。

 

 

一回、学問のすゝめを読めば一目瞭然です。

青空文庫とかでありますよ。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずの続きは【いえり】と続く。

 

 

 

意訳するとこうなる。

 

 

簡単に意訳すると

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言うけども現実はそうじゃないよね?

お金持ちがいて貧乏人がいて偉い人がいて偉くない人がいる。

 

 

その違いはどこからくるんだろう?

それはね、学問を学んでいるか?

勉強をしていたかしていないかの違いなんだよ。

 

 

 

っとこんな感じで言ってくるわけです。

なるほど、学問のすゝめのタイトルに偽りなしです。

 

 

 

しかし、これも長い文章の始まりに過ぎない。

 

 

 

更に後半であ西洋列強国に負けないように庶民に学問を学ばせ正しい知識と理解を得られるようにする事と

知識があると軍事教育がしやすいみたいな事が書いてあったようななかったような。

ただ、この時代は欧米が圧力をかけてきていてそれに負けない国を作るためにいろいろやる事が大切だった。

 

 

 

 

 

現代との齟齬

 

確かに勉強した人程、いい仕事についたり起業したりするけど。

明治時代ほど顕著じゃない。

 

 

 

明治の頃は勉強をする人としない人がはっきり分かれた、高校まで進学する人が稀だったからじゃないかな?

当時は外国、ヨーロッパが植民地を増やしていた時代だったし。

国民が馬鹿だとヨーロッパ諸国に簡単に支配されてしまうって危機感も強かったという背景もある。

 

 

その当時の世界状勢がよく分かるように書いてる。

鎖国して攘夷だのなんだの言ってるけど所詮は井の中の蛙で小さい。

重要なのは西洋から良い所学んで西洋と対等になることだ。

 

 

 

中華思想を膨らませて敵を増やす支那人(中国人)みたいになっちゃいかんよ

こんな感じで書いてあります。

学ぶ事と情報の大切さを書いている。

 

 

 

学問を学んだ人はより難しい仕事につけると学問のすゝめは言っています。

平成の世の中では当てはまらないけど、東大出身のフリーターとかもいないではない。

就職難とか就職氷河期とか言われていた時期はそういう人が多かった。

 

 

まあ本当に優秀な人は起業したりしてたわけだけど。

 

 

難しい仕事はコンピューターでなんとかなるからな〜難しい知識を知っている事よりも

知識が使える事が重要なのかも。

学問のすゝめが発表された明治時代ってとにかくがむしゃらに挑戦する時代だったんだと思う。

 

 

 

今の時代は一人一人が守りに入ってしまい挑戦をしないから

 

 

学問を学んだ人たちがその知識を元に行動すればいい結果が出ますよ

 

 

 

そういう風に学問のすゝめは言っています。

 

 

今の世の中、学力の平均値が当時よりも上がっているから最低限できる事のハードルが高くなっている。

専門知識を除けば中学、高校の知識があれば十分、社会で生きていける世の中。

高い知識が必要な仕事につけるのは今のところ一人握り、本当に優秀な人たちのみ・・・・とも言えない感じなのが当時とは違う。

 

 

 

 

 

福沢諭吉プロフィール

 

 

 

福沢諭吉(ふくざわ ゆきち/1835年1月10日-1901年2月3日/男性)は、「学問のすゝめ」の著者として知られる教育者、蘭学者、著述家、思想家、武士。坂本龍馬や高杉晋作、吉田松陰などと同世代の人物であるが、幕末よりも明治維新後の活躍で知られ、後に日本有数の規模を誇る学校法人となる「慶應義塾」や法律・経済学校である「専修学校」(後の専修大学)、商業学校である「商法講習所」(後の一橋大学)、伝染病研究所などの創設に尽力し、明治の六大教育家の一人として称されている。また、生涯に多くの著作を発表しており、明治維新後の日本が中華思想・儒教精神から脱却して西洋文明を積極的に受け入れる流れを作ったとも言われている。ちなみに会計学の基礎となる複式簿記を日本に紹介した人物でもあり、現在でも複式簿記で使われている「借方貸方」という言葉は福澤の訳によるもの。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 

学問のすゝめを作った目的

学問のすゝめを作った背景には当時の西洋列強による植民地支配を防ぐために

富国強兵の一貫だったのではないだろうか?

ヨーロッパに侵略されないようにするには日本国民がバカではいけない

 

 

学問を学び近代的な戦争に必要な学問を修めさせるのが目的の一つ

また学問を学んで知識が深まれば生産効率も上がるのでいろいろな面でプラスの部分が多い

 

 

つまり学問のすゝめは外国人に侵略されないようにするための政策、富国強兵の一貫だったというわけです。

ではでは(^○^)ノシ

 

 

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