大典太光世(おおでんた みつよ)は、「天下五剣」の一振として数えられる名刀で、
その美しさだけでなく、「霊剣」としての逸話を持つ、極めて格式高い太刀です。以下に詳細を解説します。
大典太光世(おおでんた みつよ)とは?
- 種別:打刀
- 製作年代:平安時代末期〜鎌倉時代初期(12世紀)
- 刀工:三池典太光世(みいけ でんた みつよ)
- 現存:前田育徳会蔵(国宝)
刀工:典太光世について
- 九州・筑後国三池(現在の福岡県大牟田市)の刀工。
- 平安末期に活躍し、後の「三池派」の祖とされる。
- 「典太」は役職名(典薬頭)ともされ、格式の高い刀工と推定されています。
♂️ 名の由来・伝説
「大典太」には以下のような有名な霊剣伝説があります。
大典太光世(おおでんたみつよ)は、天下五剣の一振として名高い名刀であり、特に霊剣としての逸話が多く伝えられています。
その中でも、豊臣秀吉の養女であり、前田利家の娘である豪姫(ごうひめ)にまつわる話は有名です。(刀剣ワールド名古屋・丸の内 別館/刀剣・甲冑博物館(東建本社))
♀️ 豪姫と大典太光世の逸話
1595年(文禄4年)、豪姫が原因不明の病に倒れた際、占い師は「狐が憑依している」と診断しました。
これを聞いた豊臣秀吉は激怒し、石田三成らに狐狩りを命じました。
しかし、実父である前田利家は、霊には霊で対処すべきと考え、秀吉の所有する霊剣「大典太光世」を借り受け、豪姫の寝所に置きました。
すると、豪姫の病はわずか3日で完治しました。
その後、刀を返却すると再び病が再発し、再度刀を寝所に置くと完治するという現象が続いたため、秀吉はこの霊剣を前田家に贈りました。 (刀剣ワールド名古屋・丸の内 別館/刀剣・甲冑博物館(東建本社))
⚡ その他の霊剣伝説
大典太光世には他にも霊力を示す逸話があります。
例えば、伏見城で物の怪が出るとの噂が立った際、前田利家がこの刀を持って肝試しを行い、怪異が収まったとされています。
また、前田家がこの刀を保管する蔵の屋根には鳥がとまらず、「鳥とまらずの蔵」と呼ばれたという伝説もあります。
これらの逸話は、大典太光世が単なる武器ではなく、霊的な力を持つ存在として人々に畏敬されていたことを示しています。
現在も前田家の家宝として大切に保管されており、その神秘性は多くの人々を魅了し続けています。
刀の特徴
項目 | 内容 |
---|---|
刃長 | 約65.75 cm |
造り | 鎬造、庵棟、表裏に棒樋(ぼうひ)あり |
鍛え | 板目肌(いためはだ)に地景が交じる |
刃文 | 中直刃(ちゅうすぐは)で沸(にえ)が深く、品格あり |
茎(なかご) | 無銘(後年の再研磨による)ながら光世作と伝わる |
→ 非常に重厚かつ落ち着いた造りで、実戦的な威圧感を持ちながらも品格のある外観です。
所蔵と現在の状態
- 現在は石川県金沢市にある前田育徳会が所蔵。
- 国宝に指定されており、特別展などでごく稀に公開されます。
- 一般展示は行われていませんが、企画展などで見る機会があります。
天下五剣における評価
- 「天下五剣」の中でも特に霊力を帯びた刀として扱われます。
- 美術的価値だけでなく、武家の守護・信仰対象としての側面が強い。
- 重厚感と静謐さを兼ね備えた威風堂々たる一振。
現代文化での登場
◯ 刀剣乱舞(とうけんらんぶ)
- 大典太光世はゲーム内で「刀剣男士」として登場。
- クールで静かな性格、「眠りたい」が口癖のミステリアスな存在。
- 刀剣乱舞の中でも人気が高く、グッズやフィギュアも多数展開。
関連資料・参考文献
- 『享保名物帳』
- 『諸家名剣集』
- 『刀剣国宝大鑑』(刀剣博物館)
- 前田育徳会蔵の公式解説(特別展図録等)
✨ まとめ
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 大典太光世(おおでんた みつよ) |
刀工 | 三池典太光世(平安末期〜鎌倉初期) |
特徴 | 重厚で霊力を帯びた伝説の刀 |
刃文 | 中直刃、板目肌に地景が交じる |
所蔵 | 前田育徳会(国宝) |
評価 | 天下五剣の中で霊剣として特に有名 |
ご希望であれば、大典太が登場する展覧会情報や、刀剣乱舞における設定解説も可能です。お気軽にどうぞ!
ではでは(^ω^)ノシ
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