羽田空港に飛行機が埋まっているという事実をご存知ですか?
実は戦前に作られていた飛行機が埋められたという過去があります。
戦前は航空機の研究が盛んに行われていました。
GHQによる「航空禁止令」が発行された結果、羽田空港に埋められる事になった飛行機がある。
戦前のGHGによって埋められた
第二次世界大戦後、連合国軍最高司令部(GHQ)は日本の航空機の製造や研究、飛行を禁止しました。
その結果、羽田空港にあった多くの飛行機や兵器は破壊され、空港近くの「鴨池」に廃棄され、その後埋め立てられました。
現在の羽田空港の滑走路の下には、これらの飛行機が埋まっているとされています。
当時のGHQは日本の軍事力や精神性をなくそうと躍起になっていた
日本人への武装解除を進めており、日本刀なども回収されていた時代、戦闘機なんかは真っ先に目をつけられるというわけです。
真紅の翼と呼ばれた航空研究所試作長距離機
埋められた飛行機の中には、東京帝国大学附置航空研究所(航研)が設計した「航空研究所試作長距離機」(通称「航研機」)があります。
この機体は1938年に世界記録を樹立した貴重なもので、両翼が赤く塗られていたことから「真紅の翼」とも呼ばれました。
昭和13年、大日本帝国陸軍の協力のもと木更津を飛び立ち、1周400kmのコースを29周、合計11,651kmも飛んだとされています。
3日間にわたって銚子・太田・平塚・木更津の三角周回飛行(29周)を行い,62時間22分49秒の連続飛行により,航続距離11,651kmの世界記録を達成した
羽田空港に置かれていましたがGHQによって破壊、埋められたとされています。
※航続距離とは、車両が1回の燃料補給で走行できる距離
真紅の翼が見たい!埋まっていない機体もある
これらの飛行機は現在も地中に埋まっており、発掘や保存の試みは行われていないようです。
しかし、航研機の復元機は青森県の三沢航空科学館で展示されており、実際に目にすることが可能です。
羽田空港内に航空博物館がある。
羽田空港内には、航空に関する展示や資料を提供する施設があります。
これらの施設を訪れることで、羽田空港の歴史や航空機に関する知識を深めることができます。
まとめ
羽田空港には戦前に作られた航空研究所試作長距離機が埋まっている
GHQが武装解除させた結果ですね。
現在、発掘などはされていないがレプリカが青森県の三沢航空科学館で展示されている
航空研究所試作長距離機は当時の航続距離11,651kmも飛んだと言われています。
現在の世界記録を調べてもシンガポール(シンガポール・チャンギ国際空港)とニュージャージー州(ニューアーク・リバティー国際空港)の15,344kmのが最長との事
こう考えるとやっぱりすごいですね
ではでは(^ω^)ノシ
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