「国境」と聞くと、多くの人は地図上に一本の線が引かれている姿を思い浮かべるだろう。
ところが、かつてのインドとバングラデシュの国境には、他国の領土の中に自国の領土があり、その中にさらに別の国の領土があるという、まるで迷路のような場所が存在していた。
実はこの奇妙な飛地群は、単なる地理上の珍現象ではない。
数百年前の歴史が現代まで残った結果であり、そこには約5万人もの人々が暮らしていた。
なぜそんな複雑な国境が生まれたのだろうか。そして、そこで暮らす人々はどのような生活を送っていたのだろうか。
飛地とは何?なぜ世界中でも珍しいのか
まず「飛地(とびち)」とは、自国の領土でありながら他国の領土に囲まれている土地のことだ。
例えば日本の領土が中国の中にぽつんと存在しているような状態を想像すると分かりやすい。
飛地自体は世界各地に存在するが、インドとバングラデシュの国境が特別だったのは、その数と複雑さにある。
国境地帯には100を超える飛地が点在しており、中には飛地の中に飛地が存在する「二重飛地」まであった。
さらに驚くことに、その中には世界で唯一確認された「三重飛地」も存在していたのである。
単なる地図上の変わった形ではなく、世界の地理学者や歴史研究者の間でも有名な存在だった。
飛地群はなぜ生まれたのか
この複雑な国境の始まりは、現在から数百年前までさかのぼる。
当時この地域には、現在のインド北東部にあったクーチ・ビハール王国と、インド亜大陸を支配していたムガル帝国が存在していた。
両勢力は長い間争いを繰り返しており、その過程で村や集落単位の支配地域が複雑に入り組んでいったと考えられている。
その後も境界線は整理されないまま残り続けた。
やがて1947年、イギリス領インドが分離独立すると、この地域はインドと東パキスタンの国境となる。
東パキスタンは後にバングラデシュとして独立するが、飛地群はそのまま国境として引き継がれた。
つまり、何百年も前の支配関係が近代国家の国境になってしまったのである。
王様がチェスで領土を賭けたという話は本当?
飛地群について調べると、
「王様同士がチェスやカードゲームで村を賭けた結果、飛地が生まれた」
という話を目にすることがある。
確かに面白い逸話だが、歴史的な証拠は確認されておらず、現在では伝説の一つと考えられている。
実際には、戦争や講和による領土の変遷が原因とみられている。
飛地はいくつあったのか
カードゲームで村を賭けたのでは?と疑われているのは飛地の多さにある。
2015年以前には
- インド側飛地 102か所
- バングラデシュ側飛地 71か所
さらに
- 二重飛地 24か所
- 三重飛地 1か所
が存在していました。
いや面倒くさいというか住民からしたら最悪、日常生活にパスポートは必須というのは不便極まりない。
じゃあ本当に賭けで村が取られていたかというと
実際には
- 戦争
- 講和
- 領地の分割相続
- 封建領主の支配
が長期間続いた結果として成立しています。
世界唯一の三重飛地「ダハラ・カグラバリ」
飛地群の中でも特に有名なのが、ダハラ・カグラバリと呼ばれる場所だ。
ここは世界で唯一の三重飛地として知られていた。
構造を簡単に説明すると、
バングラデシュの中にインド領があり、その中に再びバングラデシュ領があり、さらにその中にインド領が存在していた。
文章だけでも混乱するほど複雑だが、実際に地図を見ると驚くほど入り組んでいる。
世界中を見渡しても、ここまで複雑な国境はほとんど存在しなかった。
そのため「世界一複雑な国境」と呼ばれることもあったのである。
ダハラ・カグラバリ
Dahala Khagrabari
世界で唯一存在した
「三重飛地」
です。
構造は
バングラデシュ
↓
インド飛地
↓
バングラデシュ飛地
↓
インド飛地
という異常な状態でした。
こんな状態だから治安は壊滅的だったとか下手に警察が介入できないような地域だったとか
飛地に暮らす人々は取り残されていた
飛地群が注目される理由は、地理の珍しさだけではない。
そこには実際に人々が暮らしていた。
飛地には約5万人が住んでいたとされているが、多くの住民は行政サービスを十分に受けられなかった。
学校へ通うにも、病院へ行くにも、他国の領土を通らなければならない場合があった。
電気や道路などのインフラ整備も遅れがちだった。
研究者の中には、飛地住民の状況を「無国籍状態に近かった」と表現する人もいる。
地図上では自国の領土であっても、実際には政府の支援が届きにくい環境だったのである。
世界一複雑な国境の陰には、こうした人々の暮らしの問題が存在していた。
飛地の住民は大変だった
2010年の調査では
約5万1千人が飛地で生活していました。
住民は
- 学校
- 病院
- 電気
- 水道
- 行政サービス
を十分に受けられませんでした。
自国へ行くには他国を通らなければならず、事実上取り残された地域になっていました。
68年続いた国境問題はどう解決したのか
長年続いた飛地問題は、2015年に大きく動いた。
インドとバングラデシュは領土境界協定を実施し、合計162の飛地を交換したのである。
これにより飛地群はほぼ解消され、世界唯一の三重飛地も歴史の中へ消えた。
住民には国籍を選ぶ権利が与えられ、そのまま住み続けることも、希望する国へ移住することも可能となった。
興味深いのは、問題そのものは1970年代から解決方法が話し合われていたにもかかわらず、実際の実施まで40年以上かかったことだ。
それだけ国境問題は複雑であり、土地だけでなく、そこに暮らす人々の生活や権利も考慮する必要があったのである。
2015年の領土交換では、土地だけでなく住民の扱いも重要な課題だった。
インドとバングラデシュ両政府は共同調査を行い、住民に国籍選択の機会を与えた。
希望者は元の国籍を維持したまま移住することもできた。
各種資料を照合すると、
約5万1000人が飛地に居住していました。
そんな人数の国籍をいじったりするのは大変そうだな
飛地に関する問題をどうするかというのは結構昔に話し合いで解決方法は示されていました
実は
- 1974年に領土交換協定締結
- 2011年に追加プロトコル
- 2015年にようやく実施
という流れです。
問題自体は1974年から解決方法が決まっていたのに、実行まで約41年かかった
のです。
多分だけど住民との話し合いが長く続いたのか他にも問題があったのか
かなり問題があったというわけです。
おわりに
インドとバングラデシュの飛地群は、一見すると「変わった地図の雑学」に見えるかもしれない。
しかし実際には、数百年前の歴史が現代まで残り続けた結果であり、そこで暮らす人々の人生にも大きな影響を与えていた。
世界一複雑な国境は2015年に姿を消したが、その存在は国境線の向こうに人々の暮らしがあることを改めて考えさせてくれる歴史の一ページなのである。
ではでは(^ω^)ノシ
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