今回は誰もが子どもの頃に遊んだ「あっち向いてホイ」の由来と広がりを、これまでに調べた情報をもとにブログ記事の形でまとめます。
結論を先に言うと、「祇園などのお座敷遊びが起源とされる通説があるが、一次史料で確定できる裏付けは乏しく、昭和〜高度成長期のテレビで全国化した」といった流れが最も広く語られている見解です。
「あっち向いてホイ」は単純だけど盛り上がる遊び。じゃんけんで勝った側が指をさし、負けた側が顔を向ける
たったこれだけのルールが世代を超えて残っている理由には、昔の人々の遊び文化やテレビメディアの力が関わっていそうです。
では、どこから来てどう広まったのか、順を追って見てみましょう。
1) そもそもどんな遊び?
基本ルールはシンプル:
- まずじゃんけんをする。
- 勝った人が「あっち向いてホイ!」と言いながら指差す方向を決める。
- 負けた人は顔を上下左右のいずれかに向ける。指差した方向と顔の向きが一致すれば、その指した側の勝ち。合致しなければまたじゃんけんからやり直し。
じゃんけんの勝ち負けと追加で別の勝負をするというのは面白いですね。
2) 起源 — 祇園(花柳界)説
よく紹介される説の一つが「祇園などのお座敷遊びがルーツ」という説です。
お座敷遊びにはジェスチャーや掛け合いで競う種目が多く、そうした遊びの系譜の一つとして口伝で伝わった可能性が指摘されています。
とはいえ、この祇園起源説を直接裏付ける**一次史料(当時の記録や詳しい聞き取り)**が見つかるわけではなく、あくまで通説・口承の域を出ない点は注意が必要です。
お座敷遊びの記録とかが残っている方が変かも、誰が考えたとかも発表するもんじゃないし
3) 広がり — 落語家やテレビの影響
祇園あたりの遊びが家庭や子どもの遊びとして広がる上で大きかったのはメディア露出です。
落語家の桂三枝(のち六代桂文枝)がバラエティ番組で紹介したことが一つのきっかけとされ、さらに1970年代頃には萩本欽一が司会を務めた番組などで取り上げられて全国的に知られるようになった、という説明が複数の情報源で確認できます。
テレビ番組での露出が、掛け声やルールの「標準化」にも影響を与えたと考えられます。
テレビでこういう遊びがあるって見た子供が真似をするのは当然だし、お座敷遊びとして定着していたのならそれはある意味、完成されたゲームだし
めちゃくちゃ面白いというわけでもないけどやってみると老若男女関係なく面白い
テレビで紹介されれば広まるのは当然と言えますね
4) 掛け声やルールの変化
地域や時代によって掛け声の言い回しは変わっており、かつては「こっち向いてホイ」と言われていた例もあると伝わります。
テレビや大衆文化が普及する中で、「あっち向いてホイ」の語感・表現が定着していった、というのが実情のようです。
5) 史料の限界と今後の調べ方
ここで大事なのは「通説」と「確証」を分けて考えること。
現在ネット上や二次資料で語られる由来の多くは口承や回想、テレビ出演の記憶に基づくもので、学術的に厳密に証明されたわけではありません。
もしさらに確実な裏付けを取りたければ、次のような手段が考えられます:
- 京都の花街関係の古文書・聞き取り資料をあたる(京都府立図書館、京都市文書館など)。
- テレビ番組アーカイブ(放送年代・回)を特定して、実際にいつどのように紹介されたかを裏取りする。
- 戦前戦後の遊びに関する民俗学的研究や地方紙アーカイブをチェックする。
おわりに(まとめ)
- まとめ:現在広く語られている「あっち向いてホイ」の由来は「祇園のお座敷遊びが元になり、落語家や1970年代のテレビを経て全国化した」という流れ。
ただし一次史料での確証は弱く、口承とメディアの複合的な広がりの可能性が高い、というのが現在の最も妥当な理解です。
あやふやな話になってしまいますが昔は武士がお座敷であっち向いてホイをしながらお酒を飲んでいたりしたのかも?
なんて考えると面白いですね
ではでは(^ω^)ノシ
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