初詣の話題でお賽銭をいくら投じるか?
ご縁がありますようにで5円とか
- 良い縁で11円、二重に縁で20円
- 二重にご縁で25円
- 始終いい縁で41円
- 始終ご縁で45円
などなど語呂合わせのネタはありますが
はっきり言って宗教的な意味はありません。
ある種のおまじないというかお遊びの意味合いが強い。
神社、仏閣はそもそも語呂合わせをするような作法はない。
道教の冥銭みたいに宗教的意味があるわけじゃない。
そもそも日本円が誕生する前から賽銭箱はあったわけです。
語呂合わせ一覧
- 5円=ご縁がありますように
- 10円(5円玉2枚)=重ね重ねご縁がありますように
- 11円=いい縁がありますように
- 15円=十分ご縁がありますように
- 20円=二重に縁がありますように
- 20円(5円玉4枚)=よいご縁がありますように
- 25円=二重にご縁がありますように
- 35円=再三ご縁がありますように
- 41円=始終いい縁がありますように
- 45円=始終ご縁がありますように
- 50円(5円玉10枚)=五重の縁がありますように
- 55円=五重のご縁がありますように
- 100円=100の縁がありますように
- 105円=十分にご縁がありますように
- 115円=いいご縁がありますように
- 125円=十二分にご縁がありますように
- 415円=良いご縁がありますように
- 485円=四方八方からご縁がありますように
賽銭箱は戦国時代から?
元々神社仏閣には米をお供えしていました。
米、五穀を紙に包んだ【おひねり】が一般的だったそうです。
貨幣経済が発達した過程で銭貨(せんか)をお供えするようになったらしい。
戦国時代の僧侶快元が日記
『快元僧都記』でこう書いてある。
1540年(天文9年)に散銭櫃(さんせんびつ)なる箱が鶴岡八幡宮に置かれたという記
これが賽銭箱が記録に残る日本最古のものとされる。
そんな訳でお賽銭の金額は特に決まってない。
語呂合わせは神道や仏教に関係ないのだろうか?
日本人が語呂合わせ好きな理由
日本独自の言霊文化によるもの。
音による意味が悪い時に使われる言葉遊びだった。
例えば
梨(なし)を【有りの実】
スルメ(擦る目)を【あたりめ】
駄洒落の一種なんだけど、験担ぎというか縁起担ぎというか
そういった言葉遊びが日本人は大好き。
織田信長が鰹節を勝男武士と戦勝祈願に使ったとか豚カツ食べて勝つとか
おせち料理でも
黒豆→まめに暮らす
昆布→よろこぶ
鯛→めでたい
などなど語呂合わせは日本人の習慣として組み込まれている。
宗教的な意味じゃなくて気分を上げるための遊び
日本独特というか日本語の漢字とひらがな、カタカナ、表意文字と表音文字を使う文化じゃないと成立しない
高度な文化が語呂合わせ
お賽銭に決まりなし
お賽銭をいくら投じてもいい。
5円とか10円とか語呂合わせを意識してもいいし
自分の決意を表明するために1万円を投じてもいい。
ようは、お金をいれるというルール以外は自分の自己表現。
日本の神様はそういうの大らかだから変に意識しなくていい。
自分のお願い事というか決意表明に対して縁起を担ぐという意味合いが強い。
例えば
「恋人を今年は作る」
というお願い事に対してお賽銭箱に5円を投じるみたいな話。
ルールとかではなく言霊を使ったお遊び。
こういう遊び心は楽しむのが粋ってやつなんだと思います。
意識高い系のマナー講師がお賽銭の金額を語呂合わせででっち上げていたりしますがああいうのは無視しても構わない。
まとめ
お賽銭に投じる金額は適当でOK
神様は捧げものに文句とか言わないし
神社のお祈りは神様に自分の決意を伝えるためにある。
初詣は新年の抱負を神様に伝えるという意味合いになるんだと思う。
なので別にお賽銭の語呂合わせはしてもいいししなくてもいい
単純にテンションを上げるためにやる遊びみたいなもの。
誰かに言う必要もないし、作法とかマナーとかルールとかじゃない。
お遊びの一種、言霊思想がある日本人にしか分からない遊び。
この分かる人にしか分からない遊びは個人的に大好き。
ちなみに2020年の初詣、@kesuikemayakuはたくさんチャンスがありますようにと100円を入れました。
百縁あったら25縁くらいはものにしたい。
肩肘張らずに楽しめばいいんじゃないかと思います。
ではでは(^ω^)ノシ
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