社会問題 時事

安全より安心を この思想が危険な理由!新型コロナで分かった事。

安全より安心をというのは小池都知事が豊洲市場移転問題で豊洲移転を先延ばしにした時の文言ではあるのだけれど。

この安全よりも安心という思想は非常に危険です。

2020〜2021と流行り病が蔓延してる中で確信しました。

 

 

新型コロナウイルスに関して安心するためにPCR検査を受けた方が大勢いる。

その結果の一つが医療崩壊であると言えます。

 

 

 


 

心の平穏を社会に求めたらキリがない

自分の不安を社会に解決してもらうというのはキリがない。

流行り病を見れば科学的な分析もせずに不安だから文句を言う人がいる。

その文句が誰かの迷惑になるとは考えない。

 

 

医者や看護師さん、その他のスタッフに余計な負荷をかける。

自分の不安を取り除くために検査を受けるのもどうかと思う。

 

 

 

今の日本は流行り病の検査基準を緩くし過ぎたために病院が大変な事になっている。

正直、検査基準を緩くしなければこんな事にはならなかった。

そもそも、治療法が対処療法しかない病気に対して検査をしてもあまり意味がない。

 

 

 

過剰になる。

不安を解消しようとするとどうしても過剰な準備をしたり、必要以上の対策を取る事になる。

ただ、リソースは有限なのだ。
人員や資材の調達には限界がある。

 

 

 

結局、そんな備えは出来ないから科学的に安全だと言われる備えに落ち着く。

安全であると言われているものに対して更なる安心を求めるというのは余分な行為でしかない。

余分な行為を社会が行なってしまうと緊急事態では邪魔でしかない。

 

 

 

社会に対して過剰な対策は過剰な負荷になり過剰な負荷は社会の歪みになりかねない。

 

 

 

 


 

 

 

考える力を磨くべし

科学的に見て安全であるという判断をきちんと分析する事が今の世の中には求められている。

考えなしにピーチクパーチクと囀っても社会の混乱は増すばかりだ。

 

 

 

データを見たりレポートを読んだりして判断すべきだろう。

安心とは知識によって得られるものだと思っています。

 

 

 

なので、賢くならないと安心は得られない。
バカが減ると社会が良くなる。

最低限、データを元に考えられる人材が増えれば社会はもっと良くなるだろう。

 

 

 

 

安心を求め過ぎると安全が損なわれる。

安心というのは結局、自分自身の問題であり社会に解決してもらおうとするのが間違い。

理屈上、安全であり大きな被害が出ないのに不安だからと社会にいろいろ要求するのは違うんじゃないかな?

求め過ぎてはいけない。

 

 

 

 

何度でも主張するけど資源は有限なのだ。
人員や機材は常に一定の量しかない。

施設の大きさや機械の大きさなどてある程度、決まってしまうもの。

 

 

 

 

まとめ

安全よりも安心を求めるというのは誰かに過剰な負担をかけるという事です。

安全が証明されているのに不安が解消されないのは単純にバカなのか、事実を知らないのだと思います。

流行り病の例を言えば安心を求めて検査基準を緩くした結果、医療崩壊の危機!みたいな事になっている。

 

 

 

まさに安全より安心を優先させた結果、安全が保てなくなっている。

正しい情報が得られない結果かも知れませんね。

 

 

 

無知である事で損をする事、社会に害を与える事を知っておいた方がいい気がする。

科学的に安全であれば後は個人の心持ちである。

それさえも社会に解決させようというのが無理な事だろう。

 

 

新型コロナの件で考えてみてもPCR検査の拡充をした結果、重症患者のケアが出来ない状態になるのは他国を見れば分かりきっていた事です。

ここから学ぶ教訓というのは科学的根拠に基づいた判断をみんなの安心を得るために変えるという事が愚かだと言うことです。

 

 

PCR検査が必要な人というのは本来もっと少ないはずです。

 

ではでは(^ω^)ノシ

 

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