江戸時代の人は走れなかったなんて話があったりしますが
庶民は走らなかったという説ですね。
はっきり言って嘘です。
正確に言うなら早く走るためのフォームを教わらなかったというだけ
走るというのは幼児でも出来ます。
ぶっちゃけ早くはないけど走ります。
なんでこんな話が出てくるんだという感じですね。
走れなかったという説の出所は?
とある書籍、『古武術の発見』解剖学者の養老孟司と武術研究家の甲野善紀が対談を行った記述の中で
「昔の日本人は走れなかった」
というのも腕を振って互い違いに腰を捻るような動きはしなかった。
はいはい言葉のあやというヤツですね。
西洋的な走り方は出来なかったというだけの話です。
温泉旅館で浴衣を着た事がある人なら分かると思いますが体を捻る動きだと着物は着崩れる。
あっという間にみっともない感じになる。
そうじゃなくて着物をあまり着崩さない走りをしていた。
浮世絵を見ると走ってない?この人と思う人物が描かれている。
火事の浮世絵だと手を上にあげていたなんて話も聞きますが
笑わせる、単純な事で江戸時代の人は腕を振らずに走れるわけだから火の粉や倒れてくる家から身を守るなら手を上にあげるとか頭を守る動作が入るに決まっている。
着物で西洋の走り方は無理
高校時代は剣道部だった筆者から言わせると道着に袴という格好でも走りづらい
手を振ればバッサバッサと袖が揺れるし、袴を踏みそうになる。
西洋的な走り方をするとやっぱり不快感を感じてしまう。
走れない事はないけど、この状態で100m走をしてとかマラソンを走ってと言われたいやですね
腕を振らない走り方の方が速く走れそうな感じです。
走るとは?
走る事について言及しておこう
走るとは歩くよりも速く体幹を移動させる事です。
つまり腕を振る事はあまり関係ない
体幹が素早く進行方向に進めれば走れるわけです。
腕を振らなきゃ走れないというのもおかしな話です。
幼児が走る時、腕を振ったりはしないからです。
江戸時代の人が走れないは嘘と言い切れる根拠
飛脚の人が日常的に走っているからです
走るのは特殊技術と言われていますが
しかしです、見よう見まねで走る人はいたはず
子供が飛脚のマネをした可能性は否定できない
完璧じゃなくてもマネはできる
全く走れないというのも意味が分からない
江戸時代の人は1日に40kmも移動したなんて記録もあるのに走れないというのは違和感しかない。
早く走る、長く走るというのは特殊技術だけど
公に走ってるわけだからマネする人は絶対にいる。
走るという行為は禁止する事はできないだろうし
走ると表現しなかった?
人間の足で速く移動する事を走ると表現しなかったのかもしれません。
早く走る技術書の名前が神速歩行術だったりする。
神速走行術じゃない辺り、走るという言葉はあまり使われていない可能性がありますね。
あくまでも憶測ですが、この辺りはたまたまこの記事を読んでくれた言語学者様のコメントに期待です。
まとめ
統一されたフォームじゃないから速い人と遅い人の差はあっただろうけど走れなかったは言い過ぎ
西洋的な腕を振って体をねじるような走り方をしなかったというだけだろうと筆者は考えます。
飛脚みたいに速く長く走れなかったというだけだと思います。
そもそも走れないって生き物として相当なハンデだし
旅をしている時に動物や野盗に襲われたりした時、逃げなれないのは相当やばい
極論だし、元々の話が西洋的な走り方は出来なかったという記述ではなかろうか?
ではでは(^ω^)ノシ
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