正しい努力をしろ!正しく努力しろとはよく言いますが
何をもって正しいと断じる事ができるのかよく分からないと感じる人は多いと思う。
なのでまず定義をきちんとしておこうと思います。
正しい努力とは目的達成ができる努力の事です。
一見、当たり前に見えるかもしれないけど目的達成のために最善を尽くす事が正しい努力と言えます。
ですが言うは易く行うは難しとはこの事で
目的を設定してそれを達成するために必要な事を考え実行する事は難しい
一番、簡単なのは学校の勉強だろう。
例えばテストで100点を取るためにはどうしたらいいのか?
ひたすらテスト範囲と先生が喋った事を復習すればいい
一見、全問正解が難しいと感じるかもしれないが結局のところ
授業を受けてテスト範囲を勉強したり過去のテスト問題を手に入れるなんてのも手段の一つ
やる事が分かっているから最善を尽くせる。
逆にテスト範囲が分からない場合はとたんに難易度が上がると思いませんか?
更に言えばいつテストがあるかも分からないとなると更に難易度は上がります。
けど、これって仕事に置き換えるとちょいちょいありそうじゃないですか?
間違った努力とは?
間違った努力というのは目的、目標を達成できない状態を言います
例えばテストで100点を取りたいのにテスト範囲外を勉強してしまう。
早く走りたいのに腕ばかり筋トレしてしまうとか
明らかに目的の達成ができないと分かっている事をあえてやる事にあります。
自分がやっている事を分析せずに盲目的にやっている感だけで満足してしまうのが間違った努力だと
筆者は思います。
目的と手段を明確にする
努力すると一口に言っても目的と手段を決めなきゃ話にならない
ボクシングのチャンピオンになりたいのに通信空手を習うみたいなトンチンカンな事をしてしまう人って結構いる。
スポーツしかり、ビジネスしかりです。
例えば痩せたいと思った時にどうなりたいかを分析する必要がある。
目的→痩せる☓→美しく(かっこ良く)なりたいから痩せる
手段→食事制限・有酸素運動・筋トレ
などなどいろいろなやり方がある。
痩せるというのは実は目的ではなく手段であり、本当の目的は美しくなりたいとかかっこ良くなりたい
人によっては健康になりたいという感じになるだろう。
無理なダイエットをしてリバウンドするというのは本末転倒であると言えます。
インプットとアウトプット
情報のインプットとアウトプットは必須
例えば早く走りたいと思った場合
ひたすら走ればタイムは縮むだろうか?
そうじゃない、フォームを変えたり
筋トレをして筋肉を鍛えたりする必要がある。
なので知識を得て試す必要がある。
また、いろいろな仕入れた知識を使って検証したり
疑問を解消するために実験をする必要もあるだろう。
やみくも走るというのは間違った知識で行えば害にしかならない
物事、全般に言える事だけど知識を頭に入れて試す
目的を達成できない、むしろ目標から遠ざかったら
別の方法を試す
試行錯誤とインプットとアウトプットの繰り返しが必要になる。
疲れは努力の証ではない
闇雲に頑張る事が努力ではない。
というのも疲れはある種の達成感につながるかもしれないけど
間違った知識や間違った方法であった場合、努力は実を結ばない
もちろん反復練習というのは成功には欠かせないが
フォームが間違っていたり、やり方が間違っていれば無駄になる。
なので体が疲れた、頭を使って疲れただけで結果が見えないようではそれは努力じゃない
一生懸命、努力をした気になっているだけ。
分かりやすく例えるなら残業しまくる人よりも仕事のやり方を変えて残業している人と同じ結果を出しつつ定時で帰る人の方が努力していると言えます。
単純に疲れた、疲労感を努力だと勘違いしてはいけない。
目的を細分化する。
いきなりデカい目標だけを掲げて努力するのは難しい
なのでインプットした知識を使って小さな目標を達成する。
やってみて結果を分析し上手くいったら継続
上手くいかなければ違う方法を試す
こうして目的を細分化する事で漠然とした目標が見えてくる。
例えばこのブログで考えるで考えると
アクセスを集めてお金を稼ぎたいと思った場合(目的)
手段は
- ブログ記事を100記事更新する。
- キーワードをニッチで需要のありそうなものにする
- 広告の位置を変える
- SNSから集客する
などなど
いろいろな事を試して上手くいったもの
上手く行かなかった事を分析します。
例えば100記事も更新したのにアクセスが集まらない
何故か?
キーワードが良くないのか?それともブログの設定が良くないのか?
細かく分析し失敗した理由を考える必要があります。
小さな目的というか目標というか細かくやるべき事を設定しこなしていく
先生(お手本)を見つける
先生から習うというのは早く成果が出る事、間違いなしの方法です。
あらかじめ失敗例を知っている、答えを知っている人から学ぶ事でかなりショートカットできます。
例えば、小学校1年生に先生がいない状態でひらがなを覚えてもらうとしたら
かなりの労力が必要だし、考古学の先生並の知識やひらめきが必要になる。
だが、先生がいればひらがなくらいなら1ヶ月で覚えられるんじゃないだろうか?
極端な例を書いたけどお手本や教えくれる先生がいれば早く成長できるのは間違いない
徹底的に学べば先生と同じくらいの事はできるようになる。
もちろん合う合わないがあるから人間関係的に難しかったり体格的に不可能だったりするかもしれない
なので自分に合う先生、お手本を見つける事は大変。
大変だからこそ、見つけた時の成長はめちゃくちゃ早い。
まとめ
正しい努力というのは試行錯誤した結果
上手く行かなかった方法を切り捨てていく事だと思います。
目的達成のためにいろいろ試して上手くいった事だけを続ける事が正しい努力と言えます。
書いてみて思ったけど、意外と人間って間違った努力をしがち。
やっている感で満足してしまって結果が伴わない事が多々あると思う。
ついつい楽ちんな方法に固執してしまうんだよな(自戒)
先生がいればかなりショートカットできるけど大人になると先生を見つけるのも大変だしね
試行錯誤を繰り返すしかないって事か
ではでは(^ω^)ノシ
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