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選択的夫婦別姓なぜだめ?メリットよりもデメリットが大きい

選択的夫婦別姓の議論がされていますが
筆者は反対です。

メリットよりもデメリットの方が大きいと感じるからです。

 

 

現在の日本では法律婚をすれば男性側の苗字、または女性側の苗字に統一する事になります。

 

 

 

夫婦は同姓であるべきというのが日本の法律。

 

 

職場では旧姓の使用が認められていますし何ならペンネームで仕事をしている人もいます。

 

公的な書類は結婚後の姓

仕事や趣味などは旧姓やペンネームなどで活動できるため、別姓にする意味をあまり感じない。

 

 

 

 

苗字の歴史

日本では庶民が苗字を名乗る事ができるようになったのは明治時代と言われていますが

厳密には違います。

庶民は苗字を持っていましたが、それを公称する事ができなかった

 

 

つまり、公的な書類に書いたり公的な場所で名乗る事を許されなかった。

その代わり、江戸時代は気軽に改名する事もできた。

 

 

現代に続く戸籍制度は明治時代に作られた。

戸籍制度自体は大化の時代からあったのだけど平安時代くらいから日本全国規模の戸籍はなくなってしまった。

明治時代に戸籍が整備されたのは民主主義をするには戸籍が必要不可欠だったからです。

 

 

交通網が発達していった時代でもあるから引っ越しも簡単になって村単位での管理は難しくなった背景もあるようです。

現在の我々が戸籍から先祖を調べると明治時代まで遡れる。

 

 

庶民が苗字を公称できるようになったのは明治時代からというわけです。

江戸時代では村でそう名乗っているだけという人も多かった

それが公称できるようになった代わりに改名や通称を使う事を禁じられた

 

明治5年5月7日(太政官布告149号)の「複名禁止令」と同年8月24日(太政官布告235号)の「改名禁止令」によってです。

 

 

 

 

 

苗字というのはチーム名

家族というコミュニティを作る上で苗字というのはチーム名です。

夫婦別姓を企業名で考えるとすごく頓珍漢で筋が通らなくなります。

 

 

例えばTOYOTAで働いてるけどニッサンの社員を名乗るみたいな

野球で言えばジャイアンツに所属しているのに一人だけ阪神タイガースのユニフォームを着てるみたいな

 

 

選択的夫婦別姓だと自己紹介とかもややこしい

「山田花子の夫、田中太郎です。」

もしくは

「田中太郎の妻、山田花子です。」

なんか変な感じですよね。

 

 

夫婦同姓であるなら

「田中太郎です」

「田中花子です」

もしくは

「山田太郎です」

「山田花子です」

これで済む

 

 

名前を聞いただけでは二人の関係が分からない。

事実婚の場合、夫婦別姓になるけど結婚していないわけだから内縁関係みたいなのが成立する。

 

 

子供が産まれた場合でも男性が認知したとしても基本的に親権は母親が持つ。

なので苗字も当然、女性の苗字になる。

ただ、選択的夫婦別姓にすると子供がややこしい事になる。

 

 

 

法律で男性側の姓にしろとか女性の姓にしろって決めると男女平等の理念から外れる。

 

結果的に男と女でヒエラルキーが生まれてしまう。

家族の中で一人だけ姓が違うという事にもなるし

後、子供が両方の姓を名乗る場合にしても

 

 

孫世代は大変になる。

更に言えば男性側の姓が先か女性側の姓が先かでモメる可能性もある。

田中・山田 ハヤト

 

になるか

 

山田・田中 ハヤト

 

になるかでもめたりしそう。

 

 

子供の苗字はどうなる?

子供の苗字がどうなるのか?
これも法律で決めないと揉める。

母親の苗字にしても父親の苗字にしても決めるのが大変。

 

ただ、法律で決めてしまうとそれは男女差別につながる可能性もあったりする。

 

 

苗字が同じという事で親戚との関わり方とかも変わる可能性があるし

子供の時は両方の苗字を名乗れるというのも変な話だ。

 

 

更にややこしいのは夫婦が離婚した時に親権を獲得した親と苗字が違う場合。

 

 

同じ苗字に切り替えるのか?
今までは離婚した時に
父親の苗字を名乗っていたけど母親の旧姓に変えるなんて事があるわけだ。

 

 

だけど、選択的夫婦別姓で元々別姓である場合
子供は父親の苗字を使い続けるなんて事があり得るかもしれない。

更に再婚した場合、夫婦と連れ子

全員の苗字が一致しないなんて事があり得る。

 

 

韓国、中国は夫婦別姓が標準

韓国、中国は儒教の影響で夫婦別姓が標準です。

それは血の繋がりを重視するためです。

 

結婚して男性の家に入った女性は別姓になります。

ですが、女性が産んだ子供は男性の苗字を名乗ります。

入り婿の場合はその逆になりますね。

 

 

非常に差別的な基準が作られているように感じますね

選択的夫婦別姓をしても一部でこういう運用をされる可能性はあるんじゃないかと思ってしまいますね。

 

 

アメリカでは?

アメリカでは1970年代頃に夫婦別姓になったのですが

アメリカでは別姓どころか新しい苗字を作ってもいいそうで

 

家名を重視する考え方から外れているように思えます。

日本でも選択的夫婦別姓にすると次は自由に姓名を作れるようになる気がします。

 

そうなると漫画のキャラみたいな苗字が増えそうですね。

それとは別に戸籍の管理が複雑になりそうです。

 

ちなみにアメリカは個人登録制度になっている。

だから戸籍のように家族単位での管理はしていない。

 

 

 

最長老の立場で考えると

一族繁栄で自分が最古参になった時、誰の息子か?誰の孫か?でものすごく混乱しそう。

 

 

覚える苗字がめちゃくちゃ増える。

 

 

少なくとも子供の配偶者と孫

孫の配偶者とひ孫って話になると名前の関係はかなりややこしい。

 

 

部外者が入り込んでも分からなくなりそうです。

 

 

 

 

 

偽装家族とかも簡単に作れる

第三者から見れば事実婚であるか否かが分からないというのは苗字が違うから当然ですが

夫婦、どころか子供の苗字まで違っても違和感がなくなってしまうと

 

 

他人同士が偽装家族を作っても分からない。

免許や保険証などの公的な書類を見てもルームシェアをしているのか結婚した家族なのか分からない。

 

 

例えば犯罪者グループが家族として潜伏していても分からない。

全員の苗字が違うけど家族というコミュニティとして数えられてしまう。

 

 

もちろん戸籍やら身分証明書を提示されれば家族ではない事はバレるだろうけど

罪になったりはしない

 

 

 

戸籍の破壊が目的か?

戸籍がしっかりしているのが日本の強みです。

戸籍が機能しているから選挙とかでも間違いなくスムーズに投票できます。

 

 

選択的夫婦別姓とは苗字自体を廃止する事になりかねない。

 

 

最初に書いたように苗字というのはチーム名。
チーム名なのにメンバーがそれぞれ、別の苗字を名乗っているのならそもそも苗字はいらなくない?

 

 

となってしまうかもしれません。

 

 

苗字が無くなったら今度は家族と証明するものが無くなり不便です。

マイナンバーとかで管理するかもしれませんね。

マイナンバーは現状、外国人も持つ事ができます。

 

 

そうなると日本国籍が簡単に取得できそうです。

この辺りはとっかかりとして世論誘導していくかもしれないし、考えすぎかもしれない。

 

 

 

法整備するにはお金がかかる。

当然ですが結婚というシステムを変えるわけだから法整備や行政手続きも変わる。

 

 

それには税金がかかる。

 

 

税金をかけるにしてはデメリットが大きいし日本的な家名が消滅する可能性すらある制度を推進する必要を感じない。

 

 

子供がどっちの姓を名乗るかでもめるとか親戚とのパワーバランスがありそうだし

別姓がいいと主張しながらも別姓で世代交代を続けると姓の意味が薄くなり消滅する可能性が出てくる。

アメリカのように新しい苗字を作って古い苗字がなくなってしまう可能性もある。

 

 

家族、親族というコミュニティを作りづらくなる。

 

 

まとめ

いろいろ書きましたが選択的夫婦別姓という制度に変えたくないのです。

それは戸籍の仕組みを変える事につながる可能性があるからです。

変わってしまえば大した事はないのだろうけど。

 

選択的夫婦別姓って夫婦間で個性を貫きたい
みたいな主張だけで大きなメリットはない。

事実婚でも同じ事はできるけど法律婚の恩恵は受けたいみたいなワガママでもある。

 

 

世代別で見た時に誰が親族なのか判別しにくい
別姓が増えていけばいくほど姓の意味が薄れるので、下手すると苗字が消滅するか意味のないものになる。

 

 

法整備にお金がかかるがメリットは無いに等しい。

苗字が無くなったらマイナンバーとかで戸籍を管理する事になるんだろうけど縦の繋がりが分かりにくくなる気がしてならない。

 

 

ではでは(^ω^)ノシ

 

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