珍しい地名というのはいろいろな土地であったりしますが
「新幹線」という地名が静岡県函南町に存在する、元々は戦前の「弾丸列車計画」に由来することが知られています。
「新幹線」という地名は、国土地理院の地図にも載っており地元では住宅街に「新幹線区全図」と記された住居案内板があったり
バス停には「幹線上」「幹線下」というものがあったりします。
他にも「新幹線公民館」などがあります
なぜ新幹線?
戦前の「弾丸列車計画」で新丹那トンネルを掘っていました。
1941年に着工して2年後に戦況が悪くなったため中止に
弾丸列車計画が頓挫した時にトンネル工事も中止されました
両側から掘り進めて合計2kmも掘って中止されたそうです。
戦後に東海道新幹線のトンネルとして工事を再会しました。
当時の工事宿舎が立っていた場所を新幹線という地名にしたというわけです
現在では住宅街になっており「幹線上」「幹線下」や「新幹線公民館」があるのもその頃の名残という事ですね
弾丸列車計画とは?
「弾丸列車計画」とは、戦前の日本で構想された高速鉄道計画の名称です。
この計画は、現在の新幹線の原型とも言えるプロジェクトであり、以下のような内容が含まれています。
弾丸列車計画の概要
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構想の発端
- 1930年代、日本国内の主要都市間を高速で結ぶ鉄道が求められていました。特に、東京と大阪を結ぶ輸送需要の増加に対応するため、高速鉄道の必要性が議論されました。
- 軍事的な要請もあり、東アジア全体を見据えた輸送網として構想が進められました。
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計画内容
- ルート:東京 - 下関間(約960km)を結ぶ高速鉄道。現在の東海道新幹線に非常に近いルートです。
- 技術的特徴:
- 最高速度200km/hを目指す、当時としては画期的な計画でした。
- 複線の専用鉄道を建設する構想。
- 車両:電気機関車や蒸気タービン車などが検討されましたが、詳細な設計段階には至りませんでした。
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工事の進捗と中断
- 1940年に東京・大阪間の用地買収が開始され、一部では実際にトンネル掘削や路盤工事が進められました。
- 戦時中の資材不足と太平洋戦争の影響で、1943年には計画が中断されました。
- 既に着工していたトンネルや橋梁の一部は、現在でも新幹線で使用されているものもあります(例:熱海付近のトンネル)。
弾丸列車計画が後の新幹線に与えた影響
- 戦後、日本経済の復興に伴い、高速鉄道計画が再び注目されました。
- 1964年に開業した「東海道新幹線」は、弾丸列車計画の設計思想や用地買収成果を部分的に引き継いでいます。
- 弾丸列車計画が中断したものの、そのアイデアや技術は日本の高速鉄道システムにおける礎となりました。
まとめ
静岡県函南町に新幹線という地名があるのは弾丸列車計画の名残
当時、掘られていた新丹那トンネルは東海道新幹線のトンネルとして使われています。
ではでは(^ω^)ノシ
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