社会問題 時事

自由という概念は日本とアメリカでは違う。

日本で言う自由と海外で言う自由は似て非なるものであると言えます。

 

 

日本の自由というのは他人の自由を侵害しない限り自由

 

海外の場合は法律を犯さない限り自由

 

 

自由だと分かりにくいかもしれませんので

自由=できる

という風に解釈するなら

 

 

日本は
他人に迷惑をかけないならできる

であり

海外は
法律違反、憲法違反でなければできる

という事になります。

 

 

 

あくまでも成り立ちが違うから分解すると全くの別物になるというわけです。

 

 

 

 

日本人の感覚で自由と言えば

自分の思うように振る舞う事であり

自分で決めた事を他者に侵害されない。

ただし、他者に迷惑をかけない範囲でという事になります。

 

 

この他人にという部分が法律に置き換わるのが海外であると考えるとしっくり来ます。

 

 

分かりやすい例で言えば

アメリカだとマスクの強要は人権侵害だ!
マスクをつけるもつけないも自由!

 

 

という事で揉めていますがこれは法律で規制していないからですね。

 

 

日本の場合、他者への配慮が伴わない自由というのは自分勝手だと批判されるというわけです。

 

 

なのでマスクをみんなつける。
少なくとも他人に病気をうつすとか他人を不安にさせないように配慮するからこそ、それ以外はかなり自由であると言えます。

 

 

つまり、日本の自由というのは

法律+他者への配慮があって

それに反してなければ何をしてもいいという話になる。

 

 

ただ、他者への配慮が行き過ぎて息苦しくなる事も問題。

 

 

 

 

 

アメリカなどの海外だと

アメリカの場合は法律を守っていれば何をしてもいいという概念なんじゃないだろうか?

じゃないと化学的に予防効果のあるマスクをつけないという発想にはならない。

 

 

個人主義的な考えが強すぎる弊害とも言えます。

 

 

ただ、多民族国家で他人への配慮しすぎると自分のアイディンティティが失われてしまいかねない

何というかバランスが難しい問題と言えます。

 

 

アメリカでノーマスク運動が起きたりするのはそのため

 

他者は関係なく自分がどうしたいか?

というのが優先されるため社会全体で見ると足の引っ張り合いになりがち。

 

逆に自由がない国とは?

独裁国家と言われる中華人民共和国などは人権や自由がない国です。

 

自由とは法律の範囲内で好きに生きる事ができるという権利です。

 

しかし、独裁国家にとって法律とはお題目であり法律関係なく民衆を拘束できる。

 

習近平国家主席の悪口をSNSで発信したりできない

 

また、法律で人の移動を制限できたりする国は自由がない国と言えます。

 

どっちがいいのか?と言えば

日本型の自由とアメリカなどの海外型の自由

どっちも一長一短があると思います。

 

 

競い合う勝ち負けの世界においてルール違反じゃなければオッケーな海外の個人主義的な自由が有用。

 

 

逆にみんなで協力する共生するという時には日本型の自由が有効になる。

とは言えどちらが優れているとかではなく

 

 

それこそ状況によって切り替える事ができると生きやすいと思います。

 

 

物事をスムーズに進める、気持ちよく自分らしく生きるためには

日本型の自由と海外の自由、両方を理解して使い分けると楽ちんなのかもしれません。

 

 

まとめ

コロナ禍におけるアメリカのノーマスク運動って個人主義が行き過ぎた自由だと感じました。

日本人が思う自由の範囲よりもアメリカ人の思う自由の範囲は広い。

 

 

だけど結果として不自由になりやすい

 

 

マスクをつけないと罰金!みたいな法律ができてしまうのは自由とは法律を犯さない範囲で自分で決めて行動する事だから。

 

 

そういう結論に至りました。

個人主義が行き過ぎると

自由VS自由になりがち

日本型の自由は他者との戦いは避ける方向に進化した概念。

 

 

こうやって考えると真の自由とは何なのかを考えてしまいますね。

ではでは(^ω^)ノシ

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