「お饅頭は日本のお菓子」と思っている人は多いかもしれません。
しかし実は、お饅頭のルーツは日本ではなく中国にあります。
しかも、中国で今も食べられている「饅頭(マントウ)」は、日本人が思い浮かべるあんこ入りのお饅頭とはまったく別の食べ物です。
では、なぜ日本では甘い和菓子になったのでしょうか。
そして、誰が最初にお饅頭を作ったのでしょうか。
結論からいうと、お饅頭の起源は中国の小麦料理にあり、日本では室町時代に林浄因(りんじょういん)という人物によって現在のお饅頭の原型が作られたと伝えられています。
身近なお菓子の裏側には、600年以上続く意外な歴史が隠されていました。
お饅頭の起源は中国の「マントウ」だった
お饅頭の歴史をたどると、中国の「馒头(マントウ)」に行き着きます。
現在の中国でマントウといえば、小麦粉をこねて蒸した白いパンのような食べ物です。
見た目は肉まんに似ていますが、中には何も入っていません。
中国北部では主食として親しまれており、日本のお饅頭というより、ご飯や食パンに近い存在です。
実は昔の中国では、餡入りのものも含めて「饅頭」と呼ばれていたとされています。
しかし時代が進むにつれて呼び方が整理され、餡入りは「包子(パオズ)」、餡なしは「馒头」と区別されるようになりました。
つまり、日本のお饅頭は中国から伝わった文化を受け継ぎながらも、独自の進化を遂げた食べ物なのです。
諸葛亮がお饅頭を発明したという話は本当?
お饅頭の由来を調べると、三国志で有名な諸葛亮の名前がよく登場します。
伝説によれば、諸葛亮は遠征から帰る途中、川の神に人の頭を供えなければ渡れないと言われました。
そこで人頭の代わりに小麦粉で作った食べ物を供えたところ、無事に川を渡れたとされています。
この話から「饅頭」という名前が生まれたとも語られています。
ただし、この逸話を裏付ける確かな史料は見つかっていません。
近年の研究では、諸葛亮が生きていた時代より前から、中国では小麦を蒸した食品が存在していたと考えられています。
そのため、諸葛亮発明説は歴史的事実というより、後世に作られた伝説として扱うのが一般的です。
とはいえ、今でも広く語り継がれていることから、お饅頭の歴史を彩る興味深いエピソードの一つといえるでしょう。
中国のサイトを調べると日本に伝わった経緯はこんな感じで書かれている
戦国~漢代に原型誕生
↓
三国時代に諸葛亮伝説が生まれる
↓
唐・宋代に発展
↓
日本へ伝来
お饅頭を諸葛孔明が作ったというよりもアレンジ?というよりもそういう名前をつけただけなのか?
日本で最初のお饅頭を作ったのは誰?
日本のお饅頭文化を語るうえで欠かせない人物が林浄因です。
林浄因は14世紀ごろに中国から来日した人物とされ、奈良で饅頭を作ったことで知られています。
当時の中国では肉を使う饅頭もありましたが、日本では仏教の影響から肉食が一般的ではありませんでした。
そこで林浄因は、肉の代わりに小豆餡を使ったと伝えられています。
ちなみに中国から伝来したばかりの饅頭は塩餡が主流
さらに甘葛煎(あまずらせん)という甘味料を加え、日本人の好みに合う味へ工夫したともいわれています。
もちろん当時の詳しい製法には不明な部分もありますが、この出来事が日本のあん入り饅頭の始まりと考えられています。
つまり現在私たちが食べているお饅頭は、中国の文化を土台にしながら、日本独自の食文化として生まれ変わったものだったのです。
日本最古のお饅頭「奈良饅頭」とは
林浄因が作ったとされる饅頭は、「奈良饅頭」と呼ばれています。
奈良饅頭は、日本最初の饅頭として知られる存在です。
また、現在も続く老舗和菓子店の塩瀬総本家は、林浄因の系譜につながると伝えられています。
お饅頭の歴史は単なる食べ物の歴史ではありません。
室町時代から江戸時代にかけて、茶道文化や贈答文化が広まる中で、お饅頭は和菓子としての地位を確立していきました。
その後は酒まんじゅうや栗まんじゅう、そばまんじゅうなど、地域ごとの特色を持つお饅頭が全国へ広がっていきます。
今では当たり前に見かけるお饅頭も、長い歴史の中でさまざまな土地の文化と結びつきながら発展してきたのです。
実は日本のお饅頭には2つのルーツがある
日本のお饅頭の歴史を調べると、林浄因だけが登場することが少なくありません。
しかし実際には、日本の饅頭文化には大きく分けて2つの流れがあると考えられています。
ひとつは、1241年に宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし)が伝えたとされる系統です。
聖一国師は博多の承天寺に住んでいた際、近くの茶店を営む栗波吉右衛門に宋で学んだ饅頭の製法を伝えたといわれています。
これが後に「虎屋饅頭」として広まったと伝えられ、酒母を使う酒饅頭文化の始まりともされています。
もうひとつが、1349年に中国から来日した林浄因による系統です。
林浄因は奈良で饅頭作りを始め、日本人の食文化に合わせて肉の代わりに小豆餡を用いたと伝えられています。
この流れが後の奈良饅頭や塩瀬饅頭へとつながったとされています。
つまり、日本のお饅頭文化は一人の人物によって生まれたのではなく、「酒饅頭の系統」と「あん入り饅頭の系統」という2つの流れが発展しながら現在へ受け継がれてきたのです。
なぜ日本では甘いお饅頭が主流になったのか
現在、日本で「お饅頭」と聞くと、多くの人はあんこが入った和菓子を思い浮かべます。
しかし中国の饅頭は本来、主食として食べられる小麦料理でした。
日本に伝わった当初は、肉や野菜を包んだ饅頭も存在していたと考えられています。
しかし仏教の影響によって肉食が制限されていたことから、小豆を使った餡へ置き換えられていったと伝えられています。
また、日本では米が主食だったため、中国のように饅頭を主食として食べる文化は根付きませんでした。
その結果、饅頭は食事ではなく菓子として発展し、甘い餡を包んだ現在の和菓子へと変化していったのです。
実は日本のお饅頭は、中国の食文化をそのまま受け継いだものではなく、日本人の宗教観や食生活に合わせて大きく姿を変えた食べ物だったのです。
そこまで小麦の生産量もなかったし米で作る団子ってライバルもいたけど
饅頭が残ったのはお菓子として進化した結果なんだと思う。(個人の感想)
実は中国人が驚く?日本のお饅頭との違い
「中国の饅頭と日本のお饅頭は同じもの」と思われがちですが、実際にはかなり違います。
中国のマントウは主食として食べられるシンプルな蒸しパンです。
一方、日本のお饅頭は甘い餡を包んだ和菓子です。
面白いことに、日本人がイメージする肉まんに近いものは、中国では「包子」と呼ばれています。
つまり、日本人が「饅頭」と呼ぶものと、中国人が「饅頭」と呼ぶものは、同じ名前でありながら別の食べ物なのです。
さらに見方を変えると、日本のお饅頭は古い中国の饅頭文化の一部を残しているとも考えられています。
名前は同じでも、長い年月の中でそれぞれ違う道を歩んできた結果なのかもしれません。
まとめ
お饅頭の起源は中国のマントウにありますが、現在のあんこ入りのお饅頭は日本で独自に発展した和菓子です。
そのきっかけを作った人物として知られるのが林浄因であり、奈良饅頭は日本最初のお饅頭として伝えられています。
普段何気なく食べているお饅頭ですが、その歴史を知ると一つのお菓子の中に中国と日本、二つの文化が詰まっていることが見えてきます。
次にお饅頭を手にしたときは、600年以上前から続くその物語にも思いを巡らせてみたくなりますね。
ではでは(^ω^)ノシ
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