アイドル文化というと、テレビが普及した昭和から始まったイメージを持つ人が多いはずだ。
実際、アイドルの定義は1970年代以降に生まれた、若者をターゲットにした歌謡ポップス歌手の総称だ
だが、その原型はテレビどころか写真すらなかった江戸時代にまでさかのぼる。
江戸で絶大な人気を誇った茶屋の看板娘、笠森お仙(かさもりおせん)。
会いに行けば会える、応援すれば喜んでもらえるという構造は、現代のアイドルとほとんど変わらない。彼女こそが、日本における元祖アイドルと呼ばれる人物である。
江戸に実在した「会いに行けるアイドル」
お仙は谷中にあった笠森稲荷の門前で、水茶屋「鍵屋」を営む家に生まれた女性だ。
店先でお茶を出す仕事をしていただけの、ごく普通の町娘だったとされている。
当時、美人といえば吉原の花魁が有名だった。
しかし花魁に会うには相応の金と身分が必要で、庶民が気軽に近づける相手ではなかった。
その点、水茶屋の看板娘なら、店に行けば誰でも顔を見ることができる。
この「手が届く距離感」こそが、お仙を特別な存在に押し上げた最大の理由だと考えられている。
高嶺の花ではなく、日常の延長で会える相手を応援する。この構図は、現代でいう「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーとほとんど同じだ。
江戸の男たちは、こうした身近さに夢中になったのだろう。
人気に火をつけたのは、一枚の浮世絵だった
もともと評判の美少女だったお仙だが、彼女を一気に江戸中の有名人に変えたのは、浮世絵師・鈴木春信の存在だった。
当時流行していた美人画は、いわば現代の写真集やブロマイドのようなものである。
春信がお仙をモデルに何枚もの錦絵を描いたことで、彼女の姿は江戸のあちこちに広まっていった。
ここで見落とされがちなのが、絵師によって「美人の型」がまるで違っていたという点だ。
春信が描くお仙は、折れそうなほど華奢な手足と、あどけなさの残る顔立ちが特徴だったとされる。
後の時代に活躍した鳥居清長がすらりとした八頭身の美人を描き、喜多川歌麿がグラマラスな女性像を打ち出したのとは、明らかに系統が異なる。
いわば、絵師ごとにアイドルグループの「顔」の流行があったようなものだ。
清楚で幼さの残るビジュアルが好まれていたお仙の時代は、現代でいえば清純派アイドルが支持されていた時期に近いのかもしれない。
美人画がきっかけで人気が出たというのは現代で言えばSNSの写真がバズったのがきっかけで芸能界デビューした橋本環奈さんとかと似ていますね。
明和三美人、そして浅草での直接対決
お仙が人気を博していたのと同じ頃、浅草寺の奥山にあった楊枝屋「柳屋」の看板娘・お藤も評判の美人として知られていた。
この二人に、二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」の看板娘・およしを加えた三人は、「明和三美人」と呼ばれ、江戸中でもてはやされていたという。
中でも語り草になっているのが、浅草寺のご開帳という一大イベントの際に起きた出来事だ。
お仙の店が臨時出店を出したすぐ近くで、お藤も店番をしていたと伝えられている。
人気を二分する二人が目と鼻の先で顔を合わせる格好になり、当時の江戸っ子たちはこれを一種の「対決」として見物に押し寄せたそうだ。
現代のアイドルグループが人気を競い合う構図は、この時代からすでに存在していたと考えると、なんとも感慨深い話である。
グッズ商法とストーカー疑惑
お仙人気に目をつけたのは、家業を営む鍵屋自身でもあった。
お仙をあしらった手ぬぐいや絵草紙、すごろくといった、いわゆる「お仙グッズ」が次々と売り出され、
これがまた飛ぶように売れたという。お茶一杯の値段も、当時としてはかなり強気な価格設定だったと伝えられており、それでも客足が途絶えることはなかったらしい。
グッズ販売なんて聞くとまさにアイドルという感じがしますね
会いに行ける距離感、物販、そして価格プレミアム。
こうしたアイドルビジネスの基本構造は、250年以上前からすでに成立していたことになる。
さらに興味深いのは、当時すでに人気の順位付けのようなものが存在していたとされる点だ。
歴史研究の分野では、こうした評判娘のランキング表が発表されていたという指摘もあり、現代のアイドル総選挙を思わせる仕組みが江戸時代からあったことになる。
人気が過熱すると、影の部分も生まれる。お仙が忽然と姿を消した際には、嫉妬した何者かに連れ去られたのではという物騒な噂まで飛び交ったそうだ。
真偽のほどはともかく、当時から熱狂的なファンの存在が、ある種の緊張感を生んでいたことがうかがえる。
突然の失踪、そして意外な結末
人気絶頂だったある日、お仙は前触れもなく鍵屋から姿を消してしまう。
江戸の町は騒然となり、誘拐や失踪をめぐるさまざまな憶測が飛び交ったという。
しかし実際のところ、お仙は密かに嫁いでいただけだった。嫁ぎ先は、幕府に仕える身分の高い武家だったと伝えられている。
今でいえば、将来有望な相手と結婚して、芸能活動から静かに引退したようなものだろうか。
面白いことに、この結婚相手の名前については、資料によって表記が異なっている。
ある記録では「政之助」、別の記録では「甚左衛門」とされており、250年という時の流れの中で、細部の伝承にはいくつかのゆらぎが生じているようだ。
こうした食い違いが残っていること自体も、口伝えで語り継がれてきた江戸の人気者らしい話だといえる。
会いに行きたい、応援したいという気持ちは、時代が変わっても驚くほど変わらない。
江戸の町娘に夢中になった男たちの熱量は、令和のアイドル現場にもそのまま息づいているのかもしれない。
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ではでは(^ω^)ノシ
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