歴史の雑学

退職金の起源と世界のかたち──「のれん分け」からERISAまで

会社を辞めるときにもらう“退職金”。今では当たり前に聞く言葉だけど、その起源ってどこにあるか考えたことはありますか?

日本では「江戸時代ののれん分け」がルーツだと言われることが多い一方、欧米では国家や企業年金の制度化を通じて発展してきました。

この記事では、まず日本の起源を紹介し、その後アメリカ・イギリス・ドイツの流れを追い、最後に両者を比べて「なぜ違うのか」を考えます。

 

 

日本:のれん分けに始まる“慣習”から制度化へ

江戸~明治:奉公と「のれん分け」

江戸時代、商家で奉公していた人たちは一定年数の働きぶりが認められると「のれん分け」を受けました。

のれん分けとは、店の屋号や商売の権利の一部を与えられ、独立を助ける慣習です。

現金一時金そのものとは違いますが、「奉公の代償として独立を助ける」という思想は、後の退職金の感覚に近いものがあります。

 

 

この「のれん分け」説は、退職金の“起源的なイメージ”を説明するには都合が良く、通説的に紹介されることが多いです。

ただし学術的にはこれが唯一の起点というより「有力な起源の一つ」として扱うのが無難です。

 

 

明治〜戦前:積立・強制貯蓄の広がり

明治以降、商家の慣行が変化すると、金銭での支援や賃金の一部を預かっておく「積立」的な仕組みが現れます。

これも「勤続の報酬」「独立支援」といった機能を企業(あるいは雇用主側)が果たす動きです。

企業側が従業員の離職を抑え、技能やノウハウを維持したいという狙いが背景にありました。

 

 

戦後〜高度成長期:制度としての定着

戦後、定年制や終身雇用が日本の企業文化として定着するにつれ、「退職金」は福利厚生・人事制度の重要な一部になっていきます。

勤続年数に対して一定の算式で支給する(たとえば「勤続年数 × 最終給料 × 支給係数」)という、

いわゆる年功的な設計が広まり、企業が従業員の老後生活を補完する役割を果たしてきました。

 

 

近年:多様化と見直し

経済環境や雇用形態の変化、企業負担の問題から、従来型の一時金中心の制度は見直され、

確定拠出年金(DC)や企業年金の仕組み、転職時に持ち運べる仕組み(ポータビリティ)など、多様化が進んでいます。

つまり、日本の退職給付は「のれん分け→企業内慣行→制度化→再設計」という長い流れをたどっているわけです。

 

 

海外の流れ:制度化が先、法制度が整う

アメリカ(米国):企業が先行、法整備は20世紀中盤以降

アメリカでは19世紀末〜20世紀にかけて企業による私的年金のスキームが生まれました。

代表的には大企業が従業員向けに年金を設ける事例が出始め、社会保障(Social Security)が1930年代に整備されたあとも、企業年金の重要性は続きます。

1974年にERISA(Employee Retirement Income Security Act)が成立し、民間年金の運営ルールや受給者保護が法的に整備されました。

 

 

その後、1980〜90年代以降は確定給付(DB)から確定拠出(DC/401(k)など)への移行が顕著になっています。

ポイント:私的年金・企業年金の役割が大きく、法整備は遅れて入ったがその後厳格化された。転職や流動性の高さに合わせ制度が変化。

 

 

イギリス(英国):国家年金と職域年金の二層構造が古くから存在

英国では早くから公的年金の制度化(たとえば20世紀初頭の国家年金制度)と同時に、職域(職業別・企業別)年金が発達しました。

公的保障と企業年金が二層で機能する形は、日本と似た側面もありますが、英国では規制整備や労使合意の歴史が長く、職域年金の運営ルールも段階的に整えられてきました。

ポイント:国家と職域の二本立て。歴史的に制度化が早く、規制や運用の枠組みも早期に整備された。

 

 

ドイツ:国家保険が先、企業年金は補完的に発展

ドイツは19世紀に国家による老齢・障害保険が導入された歴史があり(ビスマルクの社会保険制度)、その後に企業年金(職域年金)が法整備されていきました。

したがって「国家が中心で、企業年金は補完」の色合いが強いのが特徴です。近年は税制や制度の改正を通じて職域年金の強化や持続可能性の議論が続いています。

ポイント:国家主導の社会保障が先にあり、企業年金は公的制度を補う形で制度化された。

 

 

比較:日本と欧米、何がどう違うのか

  1. 起源の〝性質〟が違う
    • 日本:商家の慣習(のれん分け・奉公)にルーツを求める解釈がある。つまり「慣習→企業内慣行→制度化」という流れ。
    • 欧米:国家や大企業による制度化が早く、法制度に基づいた整備が進んだケースが多い(特に欧州)。米国は私的年金が先行し、後に厳格な法整備が入りました。
  2. 制度の“基盤”が違う
    • 日本は「終身雇用・年功序列」文化と結びついた退職給付が主流化したため、企業が積極的に退職後の生活を担う慣行が長く続いた。
    • 欧米では公的年金の役割や私的年金の多様性があり、「企業だけが退職保障を担う」という構造にはなりにくい。
  3. 制度の柔軟性・ポータビリティ
    • 現代では転職や非正規雇用の増加により、欧米は比較的早くDC型などポータブルな制度に移行している。日本も近年、同様の対応を迫られているが、伝統的な企業内制度の名残が強い。
  4. 法制度・透明性の違い
    • 米国のERISAや欧州の年金法制は運営や資金管理に関して厳格なルールを設定している。一方で日本は企業慣行からスタートした歴史的経緯もあり、法制度や公的監督の関わり方が異なるフェーズを経てきた。

結び:過去を知れば、これからの“退職金”も見える

退職金の話は一見、単なる“お金の話”に見えますが、その背景には雇用慣行、法律、国家の役割、そして企業と労働者の力関係が絡んでいます。

日本の「のれん分け」起源説はロマンがあってキャッチーですが、同時に「慣習が制度へと変わっていく」一例でもあります。

そして海外の例を見ると、制度は歴史と政治の影響を強く受けることが分かります。

 

 

今、僕たちが考えるべきは「若い世代が転職をする時代に、退職給付はどう持ち運べるべきか」「企業が負担する仕組みをいかに持続可能にするか」という現実的な問いです。

歴史を知ることは、その答えを考えるヒントになります。

 

 

ではでは(^ω^)ノシ

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