第1章:キノコって水の中でも育つの?
「キノコ」と聞いて、どんな場所を思い浮かべますか?
多くの人が、森の中の朽ちた木や、湿った地面の上にひっそりと顔を出す姿を思い浮かべるでしょう。確かに、キノコは湿気を好む生き物です。しかし、それでも「水の中」、つまり完全に水没した環境で育つキノコがあるとは、誰もが驚くはずです。
そもそも、キノコは「真菌(しんきん)」という生き物の一種です。カビや酵母と同じ仲間で、植物でも動物でもありません。栄養を吸収する菌糸(きんし)と、胞子を飛ばすための子実体(しじつたい)から構成されています。私たちが普段「キノコ」と呼んでいるのは、この子実体の部分です。
真菌の多くは、空気中の酸素を使って呼吸しますし、胞子も風に乗って拡散します。そのため、「水中では生きられない」「ましてやキノコの形にはならない」と長らく考えられてきました。
しかし――
2005年、アメリカの研究者たちは、その常識を覆す発見をします。
なんと、完全に水没した川の中で、傘と柄を持った「本物のキノコ」が育っていたのです。
#iPrize Psathyrella aquatica! Because it's a freshwater fungus with a fruiting body & was only described in 2010. More than 99% of aquatic fungi are yet to be described, but most are microscopic & only very few actually produce "large" mushroom bodies pic.twitter.com/oS36qT5jOv
— ℍ (he/him/his) (@SS_Henriques) December 13, 2022
第2章:世界初の発見:Psathyrella aquaticaの登場
2005年、アメリカ・オレゴン州のロウグ川(Rogue River)にて、南オレゴン大学の研究者たちは、ある奇妙な光景を目にしました。
川底の沈木に、傘と柄を持った見慣れた形の「キノコ」が、完全に水没した状態で生えていたのです。
発見の背景
この研究チームは元々、川の水質や水生生物の研究を行っていました。
たまたま潜水調査中、沈んだ木の表面にキノコのようなものが群生しているのを発見し、「見間違いだろう」と思いながらも慎重にサンプルを採取。
その後、実験室で詳しく分析したところ、それが既知のキノコ属「Psathyrella(プサテレラ属)」の新種であることが判明しました。
この新種には、「水生」という性質を反映して、“Psathyrella aquatica”(プサテレラ・アクアティカ)という学名が付けられました。
ラテン語で「aquatica」は「水に関する」「水生の」という意味です。
どんなキノコだったの?
- 見た目: 茶褐色で直径2〜4cmほどの傘、細長い柄を持つ。一般的なキノコの姿そのもの。
- 環境: 水深約7メートルの冷たい川底。岩や沈木に付着。
- 生態: 水中の有機物を分解し、胞子を飛ばして繁殖していると考えられている。
最大の驚きは、このキノコが「水中で子実体(キノコ本体)を形成する」という点。
これまでの常識では、子実体は空気中で胞子を飛ばすために発達するものと考えられており、水中で成長するのは「ありえない」とされてきたのです。
この発見の意義
この発見は、菌類の進化や生態に関する常識を覆すもので、世界中の研究者に衝撃を与えました。
- 真菌が「水中」という特殊な環境に適応できることの証明
- 水生菌類の多様性と進化の可能性を広げる発見
- 微生物研究や生態系理解における新たな突破口
今後の研究次第では、Psathyrella aquaticaのようなキノコが、他にも多く存在する可能性もあります。そしてそれは、「私たちがまだ知らない自然界」が、まだまだ広がっているという証でもあります。
第3章:水生菌類の世界
Psathyrella aquatica の発見によって、私たちは「キノコ=陸上の生き物」という固定観念を見直すことになりました。
実は、キノコの仲間(真菌類)は、古くから水中環境にも存在していたのです。
ただし、それらの多くは私たちがイメージする“キノコの形”ではないのが特徴です。
この章では、「水生菌類(Aquatic fungi)」と呼ばれる、水環境に適応した真菌たちの世界を見ていきましょう。
水生菌類とは?
水生菌類(Aquatic fungi)とは、川や湖、湿地、沼地、さらには海水環境など、水のある場所で生きる真菌(しんきん)のことです。
- 大半は糸状菌(カビのような形)
- 子実体(キノコの傘や柄)を作らないものが多い
- 水中の落ち葉や木の枝など、有機物を分解する役割を担う
主な分類と特徴
分類 | 特徴 | 生息環境 |
---|---|---|
接合菌類(Zygomycota) | シンプルな構造。胞子は水流で拡散 | 湿地、腐敗した植物 |
子のう菌類(Ascomycota) | 多くの水生菌がここに含まれる。胞子は水中で放出される | 淡水〜汽水 |
担子菌類(Basidiomycota) | Psathyrella aquaticaのようなキノコ型もある | 極めて稀、発見例は少ない |
どうやって繁殖するの?
陸上のキノコは風を使って胞子を飛ばしますが、水中ではその方法が使えません。
水生菌類は、胞子を粘着性にしたり、動く構造を持たせたりして、水流に乗せて広げるという進化を遂げています。
- 遊走子(ゆうそうし)という「鞭毛(べんもう)」付きの動ける胞子を持つ種も存在
- 水流や水滴に反応して胞子を発射するメカニズムをもつものも
こうした巧妙な適応により、水の中でもしっかりと世代をつなげていけるようになっているのです。
しかし、水流に乗せるだけじゃ下流に流されるだけだからそんなに広がらないのでは?川の上流で繁殖する方法があるのでは?
そう思った方もいると思います。
めちゃくちゃ鋭い視点です!
まさにその通りで、水流だけに頼っていたら胞子や菌糸は基本的に「下流へ」流されていくしかありません。
なので、「どうやって上流に戻ったり、広範囲に分布したりするのか?」は、水生菌類に限らず、水中生物全体の謎でもあります。
ここでは、現時点で考えられている「水中で菌類が上流や別の場所に拡散する仕組み」について、いくつかの仮説や例を紹介しますね。
上流に菌を運ぶ?考えられる3つのメカニズム
1. 水生動物による媒介(動物散布)
これはかなり有力な説です。
- 魚、カエル、水棲昆虫などが、キノコの胞子や小さな菌糸の断片を体表やエラ、腸などにくっつけて運搬する
- たとえば上流に向かって遡上する魚(サケ、マスなど)が、無意識に菌類の拡散を助けている可能性がある
- 鳥が川の水を飲んだあと、別の場所に移動して菌をまき散らすという可能性も
これと同じような現象は、水草やプランクトンの拡散でも確認されています。
2. 水面から風への一時的な浮上+空中散布
これはまだ推測段階ですが、
- 水中から成長し、ある程度の時期に水面に近づいたキノコが、水面上に少しだけ出る
- その瞬間を使って、空気中に胞子を一部放出する
- 風に乗って上流にまで運ばれることがあるかもしれない
という説もあります。
特に流れの緩やかな場所や、増水後の一時的な水面上昇などが関係している可能性があると言われています。
3. 流木や落ち葉など“菌の乗り物”による移動
- 菌糸や胞子がついた落ち葉、枝、流木が水に流されて、下流ではなく支流や岸辺に引っかかる
- 洪水などのタイミングで、それらが逆流的に移動するケースもごくまれにある
- そうした「物理的なキャリア(運び屋)」を介して、菌が新しい場所に広がることがある
それでも「上流への移動」は難しい?
実際には、多くの水生菌は基本的に“下流拡散”がメインと考えられています。
でも、何らかの「逆方向の移動」手段がなければ、長期的には川全体に分布できないはずですよね。
だからこそ、研究者たちもこの「上流拡散の仕組み」には強く関心を持っています。
今後、遺伝子マッピングや生態調査で「菌がどこから来たのか?」を追跡する研究が進むと、新しい発見がありそうです。
ワカメなんかにも遊走子はあるけど違いは?
「遊走子(ゆうそうし)」は、実はワカメのような海藻(褐藻類)にも登場します。
共通しているのは、**水中で移動可能な“胞子”**を持っているという点です。
ワカメの遊走子とは?
ワカメなどの海藻は、世代交代を行う生物です。
この中で「胞子体(親世代)」が遊走子をつくり、それが水中を泳いで定着し、「配偶体(子世代)」になります。
特徴:
- 鞭毛(べんもう)という小さな「しっぽ」がついていて、水中をスイスイ泳げる
- 自分に適した環境を見つけて着床し、新しい個体になる
- 植物でも動物でもない「原生生物」的な進化の特徴を持っている
キノコ(真菌)と海藻の違い・共通点
項目 | 真菌(例:キノコ) | 海藻(例:ワカメ) |
---|---|---|
分類 | 真菌界(Fungi) | 原生生物/植物に近い |
栄養の取り方 | 他の有機物を分解(腐生) | 光合成を行う |
遊走子の役割 | 繁殖と水中での移動 | 同じく繁殖と移動 |
共通点 | 鞭毛を使って水中を移動できる胞子を持つ |
面白い豆知識!
実は、**真菌の中でも原始的なグループ(接合菌やツボカビ類)**に、ワカメのように鞭毛のある遊走子をもつ種類が存在します。
これらの菌は、水の中で生活しており、「菌類の進化の初期形態を残している」とも言われています。
ということで、ワカメの遊走子とキノコ(水生菌類)の遊走子、形や機能に共通点があって面白いですよね。
自然界では、同じ「水中」という環境に適応するために、まったく異なる生き物たちが似たような戦略を取ることがあるんです。
これを「収斂進化(しゅうれんしんか)」って言います。
身近にいる水生菌たち
意外なことに、水生菌は私たちの身近な場所にも潜んでいます。
- 落ち葉がたまった側溝や水たまり
- 田んぼのあぜ道の水路
- 湿地やマングローブ林
こういった環境では、肉眼では見えなくても、枯れ葉の表面などで水生菌が活発に活動しており、微生物生態系の中で重要な分解者として機能しています。
水生菌類と人間の関わり
水生菌類の中には、以下のように人間の生活と関係するものもあります。
- 環境浄化への応用(バイオレメディエーション)
→ 汚染された水中の有機物を分解する役割 - 水中での抗生物質生産研究
→ 陸上のキノコと同様、抗菌作用を持つ化合物を作り出す菌も - 農業への影響
→ 稲の病気を引き起こす水生真菌も存在するため、管理が重要
このように、「見えない水中のキノコたち」も、実は私たちの生活や環境に密接に関わっているのです。
第4章:なぜ水中で育つことができるのか?
キノコが水中で育つなんて、まるでファンタジーのような話に聞こえるかもしれません。
しかし、実際にPsathyrella aquaticaのようなキノコが存在する以上、「なぜそれが可能なのか?」という疑問に向き合う必要があります。
この章では、キノコが水中で成長・繁殖できる理由について、現時点で考えられている仮説や研究を紹介していきます。
陸上キノコと水中キノコの違い
まず、陸上のキノコは以下のような仕組みで成長・繁殖しています:
- 菌糸(きんし)を土壌や木材の中に伸ばして栄養を吸収
- 子実体(キノコ)を地表に出し、空気中に胞子を放出
- 風に乗って胞子が飛び、発芽 → 新たな菌糸へ
これに対して、水中でのキノコはこの「風で胞子を飛ばす」手段が使えません。
それでもPsathyrella aquaticaは、子実体を形成し、繁殖しているのです。
水中で育つための適応ポイント(仮説)
1. 胞子の放出方法が異なる?
- 水中では胞子は「浮遊」または「水流に乗る」ことで広がる
- 粘着性のある胞子、または表面が水に強い構造になっている可能性
2. 酸素の取り込みはどうしてる?
- 一般的なキノコは好気性(酸素を使って呼吸する)
- Psathyrella aquaticaは、水中に含まれる溶存酸素を菌糸や子実体の表面から取り込んでいると推測される
- もしくは、局所的に酸素濃度の高い場所(沈木の隙間など)を選んで生える可能性
3. 強い水流にも耐える構造?
- 川底に密着しやすい構造
- 胞子が流れにくい場所を選んで成長(石の裏や流木の陰など)
- 柄が太く短く、流れの影響を受けにくいかもしれない
生き残りのための知恵:水中での「ニッチ戦略」
Psathyrella aquaticaのようなキノコは、競争が激しい陸上ではなく、「水中」というニッチ(生態的な隙間)を利用して生き残っていると考えられます。
これにより:
- 他のキノコとの競争が少ない
- 特定の分解物(流木や落ち葉)に特化できる
- 天敵(昆虫や動物)による摂食リスクが低い
など、さまざまな利点もあるのです。
研究はまだ始まったばかり
残念ながら、水中キノコの研究はまだ黎明期です。
Psathyrella aquaticaの生活環や胞子の拡散方法についても、詳細なデータは限られています。
今後の研究では:
- DNA解析による適応遺伝子の特定
- 類似する水中キノコの発見
- 実験的な水中培養による生態の解明
などが期待されています。
第5章:今後の可能性と展望
Psathyrella aquatica の発見は、菌類の世界に新たな扉を開いた出来事でした。
今後、この分野の研究や技術が進むことで、私たちの生活や環境との関わりも大きく変わっていくかもしれません。
この章では、水中で育つキノコをめぐる「未来の可能性」について見ていきます。
1. 未知の水中キノコの発見
現在、水中で子実体(キノコ本体)を形成するキノコとして確認されているのは、Psathyrella aquatica のみ。しかし、これは単なる“発見されていない”だけであって、他にも存在する可能性は十分にあります。
- 世界中の川、湖、湿地、マングローブ林などにはまだ調査が行き届いていない場所が多数
- 特に熱帯地域やアマゾン、アジアの山岳地帯の渓流などは、菌類の「宝庫」として注目されている
将来的には、「海水に適応したキノコ」や「地下水で育つ菌類」など、想像もつかない新種の発見があるかもしれません。
2. バイオテクノロジーへの応用
水生菌類が持つ特異な酵素や物質は、医療・産業・環境分野への応用が期待されています。
- 水中でも安定して働く分解酵素 → 排水処理やバイオレメディエーション(環境浄化)に活用可能
- 抗菌作用を持つ成分 → 新しいタイプの抗生物質開発への道
- 水環境特有の代謝物質 → これまでにない化粧品・医薬品素材の可能性
特に、低酸素・高湿度という極限環境で生き抜く水生菌類は、過酷な条件下でも機能するバイオマテリアルの供給源として注目されています。
3. 水中でのキノコ栽培?
現在、食用キノコ(シイタケ、エノキ、マイタケなど)は、木材や農業廃棄物を使った陸上栽培が主流です。
しかし、将来的には「水中で育てるキノコ」――つまり水生キノコの人工栽培が実現するかもしれません。
- 水耕栽培と同じ要領で、菌床を水中に沈める
- 温度や酸素量をコントロールする栽培装置
- 流木や藻類を活用した新しい栽培法
現段階では未知数ですが、栽培に成功すれば新たな食材や機能性食品としての価値も期待できます。
4. 生態系の理解と保全へ
水中キノコの発見は、「菌類が生態系の中で果たす役割」を再評価するきっかけにもなっています。
- 落ち葉や枯れ木の分解 → 水質の維持に寄与
- 水中での物質循環 → 微生物と他の生物のつながり
- 陸と水をつなぐ「見えない橋渡し」の存在
つまり、水中のキノコは「生き物が生きていくうえで欠かせない存在」なのです。
この視点は、河川や湿地の保全、環境教育にも活かせます。
最後に:水中に広がる“菌の宇宙”
キノコが水中で育つ――この一見不思議な現象は、
「自然界にはまだまだ私たちの知らない仕組みがある」
ということを改めて教えてくれます。
科学が進めば進むほど、私たちは謙虚にならざるを得ない。
Psathyrella aquatica は、そんな“自然の深淵”をそっと覗かせてくれる存在なのかもしれません。
第6章:まとめ:菌類の進化の奥深さ
「キノコが水中で育つ」──この一見突飛な話題が、実は自然界のしくみを深く知るヒントになっていることが、ここまで読んでくださった皆さんには伝わったのではないでしょうか。
私たちが普段目にするキノコは、森の地面や倒木の上に生えているもの。
でも、Psathyrella aquatica のように、まさか完全に水没した川の中にまでキノコが生えているなんて、誰が想像したでしょうか?
「当たり前」を疑うと、自然はもっと面白くなる
このキノコの発見は、私たちにこう問いかけてきます:
「今まで“存在しない”と思っていたのは、本当に“存在していなかった”のか?」
それは見つけられなかっただけで、私たちの感覚や固定観念が、自然の本当の姿を見えにくくしていたのかもしれません。
菌類は、見えない場所、極端な環境、予想外の方法で、しぶとく、そしてしたたかに進化を遂げてきました。
乾燥地、極地、そして今回のような水中までもが、その舞台です。
進化の可能性は、まだまだ終わらない
Psathyrella aquatica は、ほんの一例にすぎません。
菌類の中には、「動く菌」「光る菌」「虫を捕まえる菌」など、ユニークな進化を遂げたものがたくさん存在します。
そしてこの水中キノコのように、人間の想像を超える適応戦略を持った新種は、まだ地球のあちこちに隠れているはずです。
この話から学べること
- 自然界はまだまだ未知に満ちている
- 「ありえない」は「まだ見つかっていない」の裏返し
- 進化は、環境に合わせて多様な答えを出す
- 科学は、好奇心から始まる旅
✨最後にひとこと
キノコ好きな人も、そうでない人も。
この「水中に育つキノコ」の話が、自然の奥深さと面白さに気づくきっかけになっていたら、とても嬉しいです。
そして、ふと川をのぞいたとき、「もしかしてこの水の中にも、まだ誰にも知られていないキノコがいるかも…?」
そんな想像をしてみるのも、きっと楽しいはずです。
ではでは(^ω^)ノシ
参考にした資料・サイト一覧
記事・ニュースソース
- ナショナルジオグラフィック日本版
- 記事タイトル:「水中で育つキノコを発見」
- URL: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4318/
- 内容:Psathyrella aquatica の発見に関する詳細、インタビュー付き
- Live Science(英語)
- 記事タイトル:"Mushrooms underwater"
- URL: https://fishbio.com/mushrooms-underwater/
- 内容:英語圏の報道での紹介。科学者のコメントや生態に関する情報も豊富
- 学術論文:Mycologia
https://doi.org/10.3852/09-201