ちょんまげと言えば武士がしていた髪型で非常に面白い髪型ですね
明治時代に西洋化するためにちょんまげは廃れてしまったけれど
その歴史は面白い
ちょんまげというのは髪をまとめた部分で月代というのは髪を剃った部分の事です。
ちょんまげの起源
ちょんまげの起源は貴族の髪型を改良した結果生まれました。
飛鳥時代に烏帽子というものが貴族の間で流行ります。
その時、頭が蒸れて痒くならないように髻(もとどり)という髪型にした。
髻というのは髪をまとめて後頭部の辺りでまとめて上に逆立てたもの
それを武士が真似たのが始まり、戦場で甲冑を着込んで戦うわけですが
夏のジメジメした気候に合わせて髪の毛を整えたのが丁髷(ちょんまげ)になります。
現在の時代劇などに登場する丁髷は鎌倉時代からだそうです。
月代(さかやき)を作るのに平安時代~室町時代までは木製の毛抜を使っていたそうです。
どうやら血まみれになりながら毛を抜いたそうです(とても痛そう)
江戸初期の風物を記した『慶長見聞集』にも「黒血流れて物すさまじ」という記述がある
髪型をセットするのに血まみれは嫌ですね。
鎌倉時代の頃は頻繁にセットしていたわけじゃない
月代にしていたのは戦争があった時のみ
毛抜で毛を抜いて戦に向かた髪型にしたというわけです。
日常的にちょんまげにはしていなかったそうです。
普段はもっと手入れが楽な髪型をしていたそうです。
カミソリで月代を作ったのが織田信長
カミソリは僧侶が剃髪をするための道具で一般人は使っていなかった
武士で初めて月代を作るためにカミソリを使ったのが織田信長
戦国時代で戦も頻繁にあるからって毛抜で処理していたら痛くていやになるだろうから
カミソリを使ったのでしょう非常に合理的な判断だと思います。
徐々に広まっていき江戸時代になるとカミソリで月代を作るようになったというわけです。
ちょんまげの種類は?
ちょんまげは、日本の侍や一般庶民が江戸時代などに結った髪型で、いくつかの種類があります。以下に主要なちょんまげの種類を紹介します。
- 本差し(ほんさし):
- 最も一般的な侍のちょんまげで、前髪を剃り上げ、頭頂部で結んだ髪を円形に丸めて形を整えたもの。江戸時代の武士階級の象徴的な髪型です。
- 鉄砲まげ(てっぽうまげ):
- 髪の毛を束ねて横に広げ、先端を下に垂らす形のちょんまげ。主に町人や庶民が結った髪型で、戦国時代に武士の間でも使用されましたが、江戸時代に庶民に広まりました。
- 銀杏まげ(いちょうまげ):
- 髪を束ねて後ろで結び、先端を扇状に広げて整える髪型。江戸時代の後期に武士の間で流行したもので、名前の由来は銀杏の葉の形に似ているためです。
- 立兵庫(たてひょうご):
- 髪の毛を高く結い上げ、上部を細く長く仕上げたちょんまげ。特に格式の高い侍や、武家の重要な儀式の際に使用されることが多いです。
- 流し(ながし):
- 結わずに後ろに流す形のちょんまげ。日常的なスタイルで、主に仕事中やリラックス時に結われることがありました。
- 茶筅髷
茶筅髷(ちゃせんまげ)**は、江戸時代の武士や力士、そして歌舞伎役者などが結った髪型の一つです。
この髷(まげ)は、茶筅(お茶を点てる際に使う竹製の道具)の形に似ていることからその名が付けられました。
7.本多髷
本多髷は、通常のちょんまげと比べて髷の結い方に特徴があります。髪を頭頂部で結び、その結び目を大きく丸めて、全体的にボリューム感を持たせることが特徴です。
髷の部分がしっかりと広がり、存在感があるスタイルです。
ちょんまげが廃れた理由
ちょんまげが廃れた理由は、主に明治時代に行われた日本の急速な西洋化と近代化の影響によります。
以下に、その主な要因を挙げます。
1. 明治維新と西洋化政策:
- 明治維新(1868年)以降、日本は近代国家を目指して西洋の文化や制度を積極的に取り入れる政策を進めました。
この過程で、日本の伝統的な風習や服装が「時代遅れ」と見なされるようになり、特に武士の象徴であったちょんまげはその象徴的な例です。
2. 断髪令の発布:
- 1871年、明治政府は「断髪令(だんぱつれい)」を発布しました。これは、男性に対してちょんまげを切り落とし、洋風の短髪にすることを奨励する命令です。
この命令は、文明開化の一環として国民に対し、新しい時代にふさわしい外見を求めたものでした。
3. 武士階級の廃止:
- 明治政府はまた、武士階級を廃止し、すべての国民を「平民」とする政策を取ったことで、武士に特有の文化や習慣が急速に消滅していきました。
ちょんまげも武士階級の象徴であったため、これにより多くの人がちょんまげを切り落とし、髪型の変化が広がりました。
4. 西洋の価値観の浸透:
- 西洋文化の影響を受けた人々が増え、ちょんまげを残すことが「野暮」だとされるようになりました。
特に都市部では、洋服や洋髪が一般的になり、ちょんまげは次第に時代遅れと見なされました。
これらの要因が重なり、明治時代の終わりまでには、ちょんまげを結う人はほとんどいなくなりました。その結果、ちょんまげは日本の伝統的な髪型として歴史の中に残るのみとなりました。
まとめ
平安時代に貴族の髪型を真似たのがちょんまげの始まり
武士が兜をかぶるのに頭が蒸れてしまうのを防ぐために月代にしていた
毛抜を使っていたため、ちょんまげは戦用の髪型で日常的にはしていなかった
織田信長がカミソリを使って髪を剃るようになったのが広まって江戸時代になる頃には日常的にちょんまげを結っていた
ではでは(^ω^)ノシ
この記事もおすすめ