白米は日本人の主食であるけれど
いつから白米を食べているかと言えば結構、歴史が古い
稲作が始まったのが縄文時代晩期から弥生時代と言われている。
しかし、脱穀技術が不十分であったと考えられており
白米を食べていたのはもっと後の時代と言われています
奈良時代には白米を食べていた
奈良時代には貴族が白米を食べていたと言われています。
縄文時代と弥生時代では「もみがら」と「ぬか」を取り除いた形跡はありませんでした。
この頃のお米はまだ品種改良があまりされていないため「古代米」と呼ばれる
原種に近い自然に赤や紫などの色素を含んだ米でした
現在の白米が食べられるようになったのは奈良時代からと言われています
都跡から出土した木簡(木の板に字が書かれたもの)には
玄米をついて精白 し、白米と書き「しらげのよね」と読んでいたそうです。
主に貴族が白米を食べていたという事です。
精白度が低い黒米ヒエやアワを混ぜて庶民は食べていました。
完全な玄米として食べる事は少なかったそうです
その理由として白米よりも炊くのに薪が必要だからです
臼と杵を使ってある程度、精米したものを食べていたそうです。
江戸時代では庶民も食べるように
江戸時代に入ると庶民も白米を食べるようになりました。
それまで、麦飯や玄米などを食べていたのですが豊かになった結果、庶民も白米を食べる人が増えた
雑穀を混ぜて食べてたりするのが一般的です。
しかし、それに伴い脚気を患う人が急増したそうです。
脚気はビタミンB1不足が原因です
玄米を食べる事で脚気が治ったなんて記録もあったりします
だから江戸患いなんて呼ばたようです。
なぜ江戸時代に白米が食べられるようになったのか?
そもそもなんで江戸時代になってから白米を庶民が食べるようになったのかというと
精米技術や流通が発展したからです。
室町時代以降、農業技術の発展や新田開発によってお米は増産されました。
八代将軍の徳川吉宗が行った享保の改革によってお米が増産され武士階級だけではなく農民なども白米を食べるようになりました。
米将軍と徳川吉宗と呼ばれるのも納得の成果です。
この頃、火事対策として1日分のお米をいっぺんに炊くようになり、傷みやすい玄米や雑穀米は避けられるようになったと言われています。
まとめ
白米を食べるようになったのは奈良時代から
庶民が白米を食べるようになったのは江戸時代から
奈良時代では古代米(黒米、赤米)が多く白米は少なかったと考えられます。
江戸時代になると農業技術の発展や流通網が改善された結果
みんなが白米を食べるようになった
ではでは(^ω^)ノシ
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