江戸時代、手紙や小荷物を迅速に届ける飛脚(ひきゃく)は、現代の宅配便のような存在でした。
しかし「なぜ馬を使わず、人力で走ったの?」と疑問に思う方も多いはず。今回は──
- 馬を使わなかった理由
- 大量荷物はどう運んだ?
- 幻の速達サービス「馬早飛脚」とは?
──の3点を、わかりやすくまとめてご紹介します!
日本では馬車のようなものが発展しなかった。
海外では馬を使って大量の物資を運んでいたのになぜでしょうか?
1. なぜ馬を使わなかったのか?
飛脚は人間がリレーで走るスタイルが基本でした。その背景には…
- 維持コストの問題
馬を飼育・手入れするには、飼料代や厩舎(きゅうしゃ)管理費がかかり、町飛脚の商売で採算が合わなかった - 道路事情の制約
江戸期の街道は狭く、馬の通行や補修費用がかさむうえ、事故のリスクも高かった - 身分制度の影響
乗馬は武士の特権とされ、庶民は馬を自由に扱えない社会的慣習もあった
以上の理由で、飛脚は“人の足によるリレー輸送”をメインとし、効率とコストのバランスを取っていたのです。
馬を飼うとなると飼い葉や厩舎が必要になるし、宿に泊まるとしても馬の分
2. 大量の荷物はどうやって運んだ?
小口の手紙や小荷物は飛脚に任せつつ、もっと大きな荷物は…
- 町飛脚の馬輸送便
大量荷物専用の“町飛脚”では、馬を借りて一度にまとめて輸送するスタイルもありました。馬方(うまかた)が馬を引き、宰領(さいりょう)が馬に乗って進むことで、小口便より大量の荷物を運搬していました。 - 大八車(だいはちぐるま)
二輪の荷車を人力または馬で引く方法。重量物を安定して運べるので、陸路での中~大量荷物輸送に活躍。 - 水運(廻船・河川舟運)
海路や河川を使った舟運は、江戸期物流の柱。大量かつ重たい物資を、低コストで長距離輸送できました。
荷物の量や目的地に応じて、飛脚・荷車・舟運を巧みに組み合わせていたわけです。
馬を使った輸送があるじゃん!と思ったのですがこれは飛脚と変わらない速度で昼間だけ走る方式でした。
大量に物を運ぶためのものであり、手紙や小口の荷物を運ぶなら飛脚の方が良かったのかも
集荷所とかないだろうから飛脚の方が効率が良いわけです。
3. 幻の速達便「馬早飛脚」って?
「もっと速く届けたい!」という思いから生まれたのが、馬を使う速達サービス――その名も 馬早飛脚(うまはやびきゃく)。
- 登場時期:宝永年間(1704~1711年)
- 運行ルート:江戸~大坂間(約500km)
- 仕組み:17か所の継立所(馬の交代地点)を設置し、馬を乗り継いで走行
- 到達速度:わずか3日半!当時としては驚異的な速さ
しかし、スピード重視のあまり事故が相次ぎ、寛保3年(1743年)に禁止。短命に終わった“幻の速達便”となりました。
更に言えば昼夜、走れる早飛脚とあまり変わらないという事とお金がかかる事など
後、勝手にに中継地点を作られたりして幕府が管理できなかったというわけです。
昔の街道には車道とか歩道の概念もなかっただろうから、そんな道を馬で走ったらそりゃ事故る
おわりに
馬を使わない飛脚が主流だったのは、コストや社会制度、道路事情など、さまざまな要因が絡み合った結果。
そして大量荷物は馬や荷車、水運と使い分け、効率的な物流網を築いていました。
最後に生まれた馬早飛脚は、一度は驚異的な速達サービスとして注目を浴びたものの、安全性の壁を越えられず歴史の陰に消えました。
江戸時代の人々の知恵と工夫には、本当に感心させられますね!
ではでは(^ω^)ノシ
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