ブルーシートといえば工事現場などで使われたり、お花見の敷物として使われたりとさまざまな用途で使用されます。
日本ではブルーシートと言われますが、アメリカでは「Tarp(タープ)」と呼ばれています。
このポリエチレンなどの合成樹脂で作られたシートはなぜ、青くなったのでしょうか?
結論からいうとバケツとかホースの色と合わせたそうです。
ブルーシートが出来るまで
ブルーシートを開発したのは岡山・倉敷市 萩原工業株式会社
元々はトラックの幌(ほろ)を作れないかと試行錯誤したのがきっかけでした。
昭和40年代まで綿で作られた厚手の布をトラックの幌にしていました。
軽くて丈夫な合成樹脂で作られたシートを開発
※幌とはターポリンやエステル帆布などのシートで荷台をカバーするもの
しかし、トラックの幌としては風圧やはためきによって破れてしまうため使えなかったのですが
いろいろな有用性があり、フラットヤーンが開発され事で商品名を【万能シート】として販売
※フラットヤーンとはポリエチレン、ポリプロピレンのフィルムを短冊状にカットして伸縮性のある糸にしたもの
当時はオレンジ色でした、帆布生地や綿生地が黄色系統だったのでオレンジ色にしたというわけです。
このままオレンジ色で定着すると思いきや転機が訪れます
1967年に公害対策基本法が制定された影響でカラーチェンジ
1967年に公害対策基本法が制定されました。
ざっくり言えば公害対策をしましょう。
人体にとって危険な物質を使わないようにしましょうというわけです
ですから各企業が水銀、カドミウム、ヒ素などの使用を自主規制したというわけです。
万能シートにも少量の黄鉛(おうえん)が使われておりシートとして使う分には問題なかったのですが
ゴミとして燃やした際に人体に有害かもしれないという理由で変更を余儀なくされました
なぜ青くなったのか?
オレンジ色から色を変更する際に大手化学メーカーが青い顔料を使っていた事に注目しました。
バケツや青いホースは耐候性(たいこうせい)が高く大量に作られていたのでコストも安かったのです
また、青空や海などの色に溶け込みやすく景観を損なわないというのも大きな理由ですね
ブルーシートが青くなったのはこういう理由があったからなんですね
青色のシートがみんなの中で定着するのに2~3年かかったそうですがいつしかブルーシートと呼ばれるようになったというわけです。
現在ではいろいろなカラーバリエーションがあり、茶色、シルバー、迷彩柄などがあります。
また表と裏で色が違う2色シートなども販売されています。
まとめ
ブルーシートが青い理由
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景観への配慮:青色は空や海の色に近く、自然環境に溶け込みやすいため、景観を損ねにくいとされています。
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コスト面:青色の顔料は他の色に比べて安価であり、製造コストを抑えることができます。
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安全性の問題:1965年頃、オレンジ色の顔料に有害なカドミウムが含まれているという噂が広まり、安全性を考慮して青色に変更されました。
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爽やかなイメージ:青色は爽やかな印象を与えるため、好まれました。
これらの理由から、ブルーシートは青色が主流となりました。
ではでは(^ω^)ノシ
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1967年(昭和42年)公害対策基本法解説
1967年(昭和42年)に制定された公害対策基本法は、日本における環境政策の基礎を築いた法律です。
この法律は、高度経済成長期に深刻化した公害問題に対応するために策定されました。
当時、日本各地で大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などの環境汚染が進行し、健康被害や生活環境の悪化が社会問題となっていました。
背景
- 高度経済成長期の影響
日本の産業構造が急速に発展する中で、工場排出ガスや産業廃棄物の増加が環境に大きな負担を与えました。 - 四大公害病
代表的な事例として、水俣病(熊本県)、四日市ぜんそく(三重県)、新潟水俣病(新潟県)、イタイイタイ病(富山県)が挙げられ、これらは公害問題への社会的関心を高めました。
公害対策基本法の目的
この法律の目的は、公害を防止し、生活環境を保全することで国民の健康を守ることにありました。特に、以下の点が強調されました:
- 公害の定義を明確化(大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭など)
- 公害の防止に向けた国と地方公共団体の役割を規定
- 公害防止計画の策定と推進
- 関係者(事業者、住民)の責務を明記
法律の内容
- 基本理念
公害防止は国民の健康と生活環境の保全を最優先とする。 - 規制と基準
公害の発生を抑制するための規制基準や排出基準が導入されました。 - 政策の一元化
国が中心となり、公害防止政策を一元的に推進する仕組みが作られました。
意義と影響
- この法律は、初めて公害を包括的に捉えた枠組みとして画期的でした。
- しかし、後にこの法律の限界も指摘されました。たとえば、規制の強制力が不十分であり、事後対策に重点が置かれていたため、事前予防の視点が弱かった点が課題とされました。
- 1970年の「公害国会」において、この法律が改正され、環境庁(現在の環境省)の設置や規制の強化につながりました。
公害対策基本法は、日本の環境政策の出発点とされ、後の環境基本法(1993年)へと発展する基盤を築きました。