「木で作った入れ歯」と聞くと、食事どころか会話も難しそうな気がしませんか。
ところが、日本では今から400年以上前の江戸時代に、木製の入れ歯が実際に使われていました。
しかも単なる見た目を整えるための道具ではなく、食事までできる実用品だったと考えられています。
さらに驚くことに、その製作方法には現代の入れ歯にも通じる「型取り」の技術が使われていました。
木の入れ歯というと原始的なものを想像しがちですが、実際には当時としては非常に高度な技術の結晶だったのです。
江戸時代の木製入れ歯は世界でも珍しい高度な技術だった
江戸時代の木製入れ歯は「木床義歯(もくしょうぎし)」と呼ばれています。
主な材料にはツゲの木が使われました。ツゲは硬くて丈夫なうえ、細かな加工にも向いていたため、職人たちはこの木を削り出して入れ歯を作っていたのです。
現代のような医療機器が存在しない時代にもかかわらず、利用者一人ひとりの口に合わせたオーダーメイドの入れ歯が作られていました。
木製という言葉だけを聞くと単純な工作品のように思えますが、その実態はかなり精巧なものでした。
木製入れ歯はどのように作られていたのか
木製入れ歯が驚かれる理由は、その製作工程にあります。
まず蜜蝋を使って口の型を採ります。現在の歯科医院で行われる型取りと考え方はほぼ同じです。
その型をもとに木を削り、口の中に吸い付くように調整していきました。
さらに前歯部分には人の歯や動物の歯が使われることもあり、奥歯には金属が埋め込まれる場合もあったとされています。
つまり木製入れ歯とは、単純に木だけで作られたものではなく、さまざまな素材と職人技を組み合わせた高機能な義歯だったのです。
蜜蝋で型を取ってその通りに木で削って形を整え何度も微調整して作られています。
実は現代の総入れ歯と発想が似ている
よく「昔の入れ歯はただ口に入れていただけ」と思われがちです。
しかし木製入れ歯は、口の形に合わせて密着させることで安定させる仕組みを持っていました。
現代の総入れ歯も歯ぐきへの密着を利用するため、基本的な考え方には共通点があります。
数百年前にすでにその発想が存在していたことは驚きではないでしょうか。
江戸時代の木製入れ歯を見ると、日本人が古くから失った歯を補うためにさまざまな工夫を重ねてきたことが分かります。
現代では入れ歯のほかにもインプラント治療という選択肢があり、見た目や噛み心地の改善を目的として多くの人に利用されています。
インプラント治療を検討している方や、治療の流れについて詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてみてください。
参考記事:千葉市中央区亥鼻近辺でインプラント治療を考えている時に知っておきたいポイント
運営:海岸歯科室
入れ歯を作っていたのは歯医者ではなく仏師だった
江戸時代には現在のような歯科医師制度はありませんでした。
木製入れ歯の製作を担っていたのは、主に仏師や木工職人たちです。
仏像を彫る技術は非常に精密で、人の顔や口の形を再現する能力が求められます。
その技術が入れ歯作りにも応用されたと考えられています。
やがて専門の「入れ歯師」も現れ、庶民の歯の治療や義歯製作を担うようになりました。
現代では医療と工芸は別の分野ですが、当時は職人の技術が人々の健康を支えていたのです。
これは結構、意外というか彫刻系の仕事をしている人なら作れそうだけどまさかの仏像を彫る人が入れ歯を作っていたのは意外でした。
徳川家康や有名人も木製入れ歯を使っていた
木製入れ歯は一部の特殊な人だけが使っていたわけではありません。
徳川家康が使用していたとされる入れ歯は特に有名です。
また、江戸時代を代表する国学者の本居宣長や、解体新書で知られる杉田玄白、人気作家だった滝沢馬琴なども木製入れ歯を利用していたと伝えられています。
こうした人物たちの名前を見ると、歯を失う悩みは昔も今も変わらなかったことが分かります。
歴史上の偉人たちも、私たちと同じように歯の問題を抱えていたのです。
木製入れ歯は本当に食事ができたのか
多くの人が気になるのは、この点でしょう。
実際に発見された木製入れ歯には、長期間使われた痕跡が残っています。
表面がすり減っていたり、歯石が付着していたりすることから、単なる装飾品ではなく実際の食事に使われていたことが分かっています。
江戸後期の記録には、木製の総入れ歯でタコを食べられたという話も残されています。
もちろん現代の義歯ほど快適ではなかったでしょう。しかし当時の技術としては十分に実用的だったと考えられています。
タコって思ったよりも弾力があるから生半可な出来じゃ食べれないだろうからすごい技術ですね
なぜ日本で木製入れ歯が発達したのか
世界各地でも入れ歯は存在していました。
しかし日本では木工技術が非常に発達しており、仏像や能面などを精密に彫る文化がありました。
そのため、人の口に合わせた複雑な形状の義歯を作る技術が育ちやすかったのです。
また、日本では木材が身近な素材だったことも大きな理由でしょう。
木製入れ歯は単なる代用品ではなく、日本の職人文化から生まれた独自の発明だったといえます。
江戸時代の日本と海外の入れ歯は何が違ったのか
江戸時代の日本で木製入れ歯が発達していた頃、海外でもさまざまな入れ歯が使われていました。
しかし、その材料や考え方には大きな違いがありました。
入れ歯という発想自体はかなり昔からあったようです。
古代エジプトや古代ローマでは、失った歯を金線で固定したり、動物の歯を利用したりする方法が知られています。
これらは部分的な補修に近く、現代の総入れ歯とは異なるものでした。
16〜18世紀頃のヨーロッパでは、象牙やカバの牙、セイウチの牙などを削って入れ歯を作る方法が広まりました。
近代歯科医学の父として知られるフランスのピエール・フォシャールは、1728年に総入れ歯を紹介しています。
しかし当時の総入れ歯は、上顎と下顎の義歯を金属製のバネで連結し、脱落を防ぐ仕組みでした。現代の吸着式の入れ歯とは大きく異なる構造だったのです。
象牙などの牙を使った物は硬い素材である反面、口に合わせた細かな調整が難しく、長期間使用すると変色や臭いが発生する問題もあったとされています。
一方、日本の木製入れ歯は蜜蝋で口の型を採り、一人ひとりに合わせて作られていました。
さらに歯ぐきへの密着を利用して安定させる仕組みも取り入れられており、現代の総入れ歯に近い発想が見られます。
もちろん単純に優劣を比較することはできません。
しかし「口の型を採り、個人に合わせて作る」という考え方に注目すると、日本の木製入れ歯は当時として非常に先進的な技術だったと考えられています。
ジョージ・ワシントンの入れ歯に関する誤解
海外の入れ歯の歴史で有名なのが、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンです。
「ワシントンは木製の入れ歯を使っていた」という話を聞いたことがある人も多いでしょう。
しかし実際には木製ではなく、象牙や動物の歯、人の歯などを組み合わせた義歯だったことが分かっています。
日本では木製入れ歯が実用化されていた一方で、西洋では象牙や金属を使った義歯が主流でした。
同じ時代でも、地域によって技術の進化の仕方が大きく異なっていたのです。
世界最古級の総入れ歯は日本にあった
和歌山県に残る尼僧・仏姫の木製入れ歯は、16世紀前半のものとされています。
この入れ歯は上顎全体を覆う総入れ歯であり、現存する総入れ歯としては世界最古級と考えられています。
日本の入れ歯の歴史は単に古いだけではありません。
世界の歯科技術史の中でも、独自の進化を遂げた非常に興味深い存在なのです。
まとめ
江戸時代の木製入れ歯は、単なる昔の珍品ではありませんでした。
蜜蝋で型を取り、ツゲの木を削り、口に合わせて調整する。
その工程には現代の義歯にも通じる考え方が息づいています。
木の入れ歯と聞くと微妙に思えるかもしれません。
しかしその背後には、世界でも珍しい日本の職人技と知恵が隠されていたのです。
歴史上の偉人たちが使っていた木製入れ歯を思い浮かべると、江戸時代の技術力の高さに改めて驚かされます。
ではでは(^ω^)ノシ
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