日本で小麦が栽培され始めたのはなんと紀元前1世紀頃と推定されており
弥生時代中期には栽培が始まっていたのではないだろうかと言われています。
中国に小麦が伝わったのもそのくらいで既に稲作は日本に伝わっているから
渡来人が小麦を持っていても不思議じゃない。
小麦は稲作の後に日本に伝わった
紀元前1世紀頃に中国から日本に伝わったとされています。
中国大陸、漢の時代に小麦が中国大陸に伝わったと言われていますので整合性は取れている感じですね。
弥生時代と言ってもかなり幅のある時代。
正確な時代は分からないけど、それくらいには伝わっていた。
鎌倉時代の二毛作で麦が生産されていた
鎌倉時代に牛馬の糞を肥やしにする技術が確立したおかげで
稲作が終わった水田から水を抜いて小麦を秋から春にかけて育てていた。
あくまでも米の裏作として秋に植えられえ田植えが始まる5月ごろに収穫する方式でした。
この二毛作は畿内(山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国の5ヵ国の総称。 現在の京都府・奈良県・大阪府に当たる)・西日本一帯では、麦を裏作とする二毛作が普及します。
当時、天皇がいた平安京が文化の中心だったので西日本で二毛作が広まった。
なぜ、日本で小麦が覇権を取れなかったのか?
弥生時代から麦の栽培はされていましたが
何故、日本ではお米が主食で小麦を使った料理が麺が主食にならなかったのか?
それは非常に単純な話で、お米は小麦の1.5倍の収穫量があり。
水田だから連作障害が起きない、有害な成分が水に洗い流され山から栄養豊富な水が流れ込んでくるから
同じ田んぼで毎年、稲作が出来た。
小麦の場合、連作障害が起こり、休耕地が出てしまう。
そう考えれば日本で小麦が覇権を取れなかったのも納得。
あくまでも二毛作の裏作であり、メインで育てる作物ではなかった。
江戸時代に年貢を増やすために大麦や小麦の栽培を奨励したって話もあります。
うどんやそうめん、蕎麦が庶民の食べ物として定着した経緯は年貢で米を収めた後に庶民が食べるように小麦を育てていたから
という事らしい。
まとめ
小麦は紀元前1世紀頃、弥生時代中期くらいには日本に伝わっていた。
ただし、稲作の方がいっぱい収穫できるし連作障害も起こらないから小麦の栽培はあまりされなかった経緯がある。
鎌倉時代には二毛作の裏作として作られるようになった。
江戸時代、うどんとかそうめんが庶民的な食べ物になったのは米は年貢として取られる中で小麦やら大麦、蕎麦なんかは
百姓が食べるように栽培し広まっていったというわけです。
ではでは(^ω^)ノシ