第二次世界大戦中、ローマのある病院で医師たちが考え出した「K症候群(Syndrome K)」という“架空の伝染病”の話は、戦争の残酷さと同時に人を守ろうとする機転の尊さを伝えるエピソードです。
今回はこれまで集めた情報をもとに、出来事の背景、具体的なやり方、関係者、そしてこの行為が持つ意味をやさしくまとめます。
背景 — なぜそんなことが起きたのか
1938年にイタリアで制定された人種法や、1943年にイタリアが降伏して以降のドイツ軍占領によって、イタリア内のユダヤ人に対する迫害は急速に厳しさを増しました。
1943年10月16日にはローマのユダヤ人ゲットーで大規模なラウンドアップ(逮捕)が行われ、多くの人々が強制収容所へ送られました。
こうした脅威の中で、医師や修道者、教会関係者や市民が“隠す・救う”活動に動きます。
その中で、ローマのティベリーナ島にあるファーテベネフラテッリ病院の医師たちが編み出したのが「K症候群」を使った偽装作戦でした。
K症候群とは? ――“病気”は本物じゃない
端的に言うと、K症候群は実在しない病名です。医師たちはあえて「非常に感染力が強い危険な伝染病が出ている」と見せかけることで、ナチスの兵士や検査隊を病棟に近づかせないようにし、ユダヤ人や政治的亡命者を病院に匿いました。
やり方はシンプルで効果的でした。
- カルテや病棟に「Syndrome K」と記入する。
- 症状の説明を怖々しく、医学的にあいまいに伝える(兵士にとって未知で危険に見えるようにする)。
- 隔離用の病棟を設け、外部の立ち入りを制限するふりをする。
- 必要に応じて、咳などを装って“感染している”演技をすることもあったと言われます。
結果として、病院側の偽装はナチス側の疑いを遠ざけ、多くの人命が助かりました。
主な関係者(名前の一例)
- Giovanni Borromeo(ジョヴァンニ・ボロメオ) — 主導的に行動した医師のひとり。
- Adriano Ossicini(アドリアーノ・オッシチーニ) — 活動に関与した医師。
- Vittorio Sacerdoti(ヴィットリオ・サチェルドーティ) — 医師、ユダヤ人患者を保護した記録あり。
- 病院の修道司祭や看護スタッフらも、命をかけて協力しました。
(上の名前は代表例で、記録や証言によって表記や関与の詳細が異なることがあります。)
いつ・どれくらいの人が助かったのか
正確な人数は資料や証言によってばらつきがありますが、K症候群の策略で病院に匿われ、多くが発見や逮捕を免れたことは確かです。
ローマにおける教会系施設全体では数千人をかくまったという報告もあります(教会施設が数千人規模で匿った記録がある、という点は戦後の整理でも言及されています)。
一方で、全員を救えたわけではなく、多くの犠牲者が出たことも忘れてはなりません。
他の救援ネットワークとのつながり:Assisi(アッシジ)らの活動
K症候群と同時期に、イタリア各地では教会や修道院を中心とした救援ネットワークが活動していました。
代表的なのがアッシジのネットワークで、司教や修道士たちが複数の修道院を避難所にして、偽造身分証や移送ルートを整え、多数のユダヤ人を救出しました。
これらの動きは都市と地方でそれぞれ補完し合い、多方面から命を守る努力が続けられました。
なぜこの話が重要なのか — 意義と教訓
- 機転と倫理の実例
医療者が「患者を守る」という職業倫理を超えて、命を最優先に行動した例です。法律や占領者の圧力に負けず、人を匿った勇気は現代でも学ぶべき点があります。 - 「制度」だけでは救えない命がある
国家や制度が暴走する時、個人や小さなコミュニティの行動が直接的に人命を救うことがある、という現実を示します。 - 歴史記憶の重要性
こうしたエピソードは時とともに忘れられがちですが、記録し伝えていくことで、多様な形の抵抗と助け合いを後世に伝えられます。
まとめと次にできること
K症候群は医学的な病名ではありませんが、「偽の病気」で人を守った」という実話的なエピソードは、戦争という極限状況での人間の選択と倫理を考えるうえで強い示唆を与えます。
医師・修道者・市民が協力して命を救ったこの話は、今日の私たちにも「どんなときに、誰を守るべきか」を問いかけます。
ではでは(^ω^)ノシ
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