「大阪城を作るときに昆布が使われた」という話を聞いたことはないだろうか。
昆布のぬめりを滑りに利用して巨石を動かした――そんな絵は印象的だ。
結論から言うと、この話は広く語られる伝承であって、史料で裏付けられた確定事実とは言えない。
だが、伝承が生まれた背景には合理的な推測や地域の文化史が絡んでいる。
昆布説の内容と広がり
伝承の典型的な語りはこうだ。豊臣秀吉が大阪城築城の際、石を載せた木製のそり(修羅)の下に濡らした昆布を敷き、そのぬめりで滑らせて運んだ、というもの。
昆布屋や食文化紹介のサイト、地域の豆知識記事などで繰り返し紹介されているため、俗説として広く浸透している。
見た目に分かりやすく、人に話したくなる逸話だと考えられている。
ただ現実的に考えるとそれってどうなのよ?と思ってしまうのは昆布は一つ一つは小さいし
実用できるほどのローションは取れないのではないか?というもの
昆布の食用が広まるよりもローションが広まる方が早いはずでは?
実際、昆布ローションの作り方を調べると昆布を一日、水に浸せば作れる。
史料と学術の立場:裏付けは不十分
一方で、歴史学や大阪城の専門研究では、昆布が築城作業で使われたことを直接示す一次史料は確認されていない。
つまり、当時の公式記録や考古学的な証拠に「昆布使用」の明確な記述や遺物が残っているわけではない。
だから学術的には「可能性はあるが確証はない」という扱いが妥当だとされています。
証拠は残っていないという事は大工さんの日記とか武将の日記とかの記録に残っていない
だからと言って嘘であると断定もできないし本当だったとも言い切れないという曖昧な話という事らしい
実際に使われた運搬技術(史料で支持される点)
築城での巨石運搬には、次のような方法が史料や技術史で示されている。
- 修羅(木製のそり)や丸太を転がす方法。
- 人力や牛馬、滑車を組み合わせた移動。
- 路面に水を撒いて摩擦を下げる工夫。
これらは技術的に確立しており、昆布説と比べても現場で実際に使われやすい手段だと考えられている。
なぜ「昆布説」が生まれたのか(意外な背景)
昆布説が生まれた理由はいくつか考えられる。
まず大阪・近畿が後世に昆布流通・だし文化の重要拠点になったこと。地域の食文化と大きな歴史イベントを結びつける語りは生まれやすい。
次に、昆布のぬめりを潤滑に使うという発想自体は直感的で「ありそう」に感じられること。
こうした事情が合わさり、伝承として定着したと見るのが自然だろう。
私個人の意見としては
当時の大阪は日本全国から物資が集まる場所だったから何でもかんでも大量に集まるという背景があったから
昆布が大阪の近くにある海で取れるわけじゃない事を考えるとコスパが悪すぎる
わざわざ北海道や東北で取れて長い距離を運んで来たものをぬめりを取るために大量に集めるというのは疑問
可能性の検討:現場で使えたか?
昆布を滑り材として部分的に使うことは、理屈としてはあり得る。
海沿いの地域で入手しやすく、濡らすと表面が滑る性質があるからだ。
ただし大量の昆布を現場に供給する物流や、昆布が破れたり汚れて機能が落ちる点など、実務上の課題も多い。
したがって「常套手段として使われた」と断定するのは難しい。
誤解されがちな点
よくある誤解は「昆布を使ったからこそ大阪が昆布文化になった」という単純な因果関係だ。
実際は昆布流通や食文化の発展は経済・流通の変化と結びつくもので、築城伝承が直接の原因とするのは根拠が弱いと考えられている。
伝承は地域の文化や想像力を映す鏡でもある。昆布説は「面白い可能性」として語り継ぎつつ、史料に基づく区別は忘れないでおきたい。
面白い話だけど信じるか信じないかはあなた次第というお話でした
ではでは(^ω^)ノシ
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