カレーはどうやって日本に伝わったかと言うと
大航海時代にイギリスがインドを植民地にしました。
イギリスはインドからさまざまな文化を吸収した。
その中にカレーもあったのです。
インド⇒イギリス⇒日本
という順番でカレーは広まっていきました。
イギリス人によってスパイスあらかじめ調合したカレー粉が作られルーにして調理する方法が発明されます。
そこからどうやって日本に伝わったかと言うと明治時代、欧米列強に追いつくべく欧米の文化を吸収しようという流れの中でカレーライスも一緒に伝わった。
この記事もおすすめ
インドの汁物、それがカレー
インド料理の中でカレーというのは汁物とかご飯にかける料理というカテゴリー
日本で言えばお味噌汁のようなものでインドでカレーと言っても通じない場合がある。
というのもインドカレーには本当に様々な種類があるし、
南インドと北インドでは気候が全く違うからカレーも全く違う形になる。
東や西の地域でもカレーの食べ方が違う。
調合するスパイスも全く違うから似ても似つかない料理になる。
日本でも地域によってお味噌汁の味付けが変わったりお雑煮に地域差がある。
それと同じ事がインドカレーにも言える。
イギリスが植民地にしてからは唐辛子なんかも入ってきて辛いカレーになったそうです。
イギリス人の欲求不満がカレーを作った!
イギリスからインドへ香辛料を求めてやってきたイギリス人ですが
長い航海の中でどうしてもシチューが食べたくなります。
しかし、冷蔵庫もない時代です、シチューにかかせない牛乳はすぐに腐る。
そこでインドで大量買い付けた、腐るほどある香辛料でシチューに似たものは作れないか?
という事で生み出されたのが欧風カレー
海軍カレーが日本カレーのルーツ!
明治初期に日本海軍では大問題が発生していました。
というのも当時の海軍、陸軍軍人、ともに死亡する原因が脚気(かっけ)だったのです。
脚気はビタミンB1やタンパク質の不足で起こる病気。
白米中心の食生活はビタミン不足になりやすかった。
脚気で死んでしまう事を防ぐために明治17年、海軍軍医だった高木兼寛(後の海軍軍医総監)は軍艦筑波号による航海実験を行い「兵食改革」に着手しました。イギリス海軍で提供されていたカレー風味のシチューに小麦粉でとろみを付けて、ライスにかけたメニューを軍隊食に取り入れたのです。
小麦粉やシチューの具である、肉、ねぎ、にんじん、じゃがいもを毎週食べた事で脚気になる軍人さんは劇的に減ったそうです。
始めてカレーを日本に紹介した西洋料理指南と西洋料理通
明治5年に発表された西洋料理指南と西洋料理通にはカレーの作り方が紹介されていました。
当時はカエルの肉や長ネギが使われていたそうです。
西洋料理通抜粋によると
カリードヴィル・オル・ファウル
冷残の子牛の肉或いは鳥の冷残肉いずれも両種の中有合物にてよろし 葱四本刻み林檎四個皮を剥き去り刻みて食匙にカリーの粉一杯シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯 水或いは第三等の白汁いずれにても其の中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投混て炊きたる米を皿の四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし。
なぜ、玉ねぎを使わなかったかと言えば、玉ねぎは江戸時代に長崎の出島から入ってくるけど、観賞用の植物だった、玉ねぎを本格的に農家が栽培し始めたのは明治13年
だから、長ネギで代用していたんだと思います。
最初は西洋料理店でしか食べれない味だったけど徐々にカレー粉が輸入されたり
明治36年には国産のカレー粉が発売。
明治37年にはカレーうどん
明治39年にはカレーのタネというカレールーが発売
明治41年には大阪でカレー南蛮が産まれる。
まとめ
カレーはインドからイギリス、明治時代にはイギリス海軍から日本海軍に伝わった
明治時代の初期に書物で紹介されてから徐々に広まり明治41年にはカレー南蛮が産まれる。
こういう流れで日本に伝わった。
日本にカレーが伝わったのは18世紀、明治時代なんですね~
この記事もおすすめ