才能がないと言われたからと言ってそれまでの努力は無駄か?
もしくは才能がないから努力しても無駄か?
決してそんな事はない。
僕の意見としては才能というのは他人がその人を評価するための値札みたいなものだと思う。
絵を描きまくって上手くなったのに「才能があるんですね」で片付けられる。
才能というのは他人を簡単に評価するための便利な言葉だと思う。
エジソンは1%のひらめきと99%の努力と言ったけれど
エジソンは常に考えて続けていただけの事、全ての事柄が発明というベクトルに収束していったというイメージなんだよな
考えて蓄積したデータが一つの形になる事を思えばそれは一つの努力だ。
脳がいろんな情報を取り込んで結果、生まれたひらめきを99%の努力で実現させる。
つまり、ひらめきさえも経験から産まれる。
才能がないはあきらめの言葉
やる前から諦める人はおれ、才能ないしな
という言葉を使いがちですがそうじゃないのです。
才能というのは他人があなたに勝手につける値札であった
自分自身には使ってはいけない言葉。
誰しもが最初はド下手くそで見るに耐えない事が多いけど
それがカッコ悪いなんて思わないでください。
才能がないからという言い訳を使うから苦しくなる。
ある程度のレベルまでは誰でもいける
才能とは関係なくある一定のレベルまでは誰でも練習すれば到達可能だ。
流石に後期高齢者が今から頑張ればバク転ができるなんて事はないだろうけど
小学生くらいから始めた社会人から始めた。
ある程度のレベルまでは到達できる。
例えば全く運動していない人が社会人になってからマラソンを始めてフルマラソン42.195kmを走れるようになる。
というのはよくある話だしできる。
そもそも才能というのはあらゆる分野においてトップクラスの人たちがしのぎを削ってる中で壁を突破した0.1%(個人の感想)が才能がある。
天才と言われているだけで残り99.9%は凡才、秀才です。
天才というのはスタートダッシュが早い人の事でも物覚えが早い人でもない
最終的に圧倒的な実力を見せつける人の事です。
周囲の些細な実力差で才能がないと落ち込む事ない。
他人と比べるから辛くなる
他人と比べるから才能がないと思ってしまう。
他人と競うから辛くなる。
趣味として始めたのならそういう風に人と比較せずに自分が納得できる。
取り組み方をすればいいだけです。
自分が出来る出来ないというよりも自分よりもはるかに出来る人物と自分を比べてしまう。
これが良くない。
才能がある人って?
才能がある人というのは
努力が苦痛にならない人。
好きな事ならいくらでも努力できる人の事を言います。
好きな事に対してならいくらでも努力できる人が才能がある人なんだと思います。
淡々と練習しトライアンドエラーを繰り返し結果を出す人を才能があると言いがち。
だけどひたすら努力を続けられる事自体がそもそも才能なんだと思います。
まとめ
才能があるかなんてやってみないとわからないですね。
やってみて才能があるなら何時間でも楽しく作業できるはずですよ
ではでは(^ω^)ノシ
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