「プレスコード」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
プレスコードとは、第二次世界大戦後の日本で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が新聞や出版物などの報道機関に示した、報道・出版に関する基準です。
1945年9月19日にGHQは「プレス・コードに関する覚書」を出し、日本の新聞・雑誌などに対する検閲を進めました。
国立国会図書館の資料でも、プレスコードはSCAPIN-33として示されたことが確認できます。
この記事では、プレスコードとは何だったのか、30項目には何が書かれていたのか、そして現在にも影響が残っているという見方について整理します。
プレスコードとは?
プレスコードは、GHQが戦後の日本の新聞・出版物などに示した報道基準です。
簡単に言えば、
「占領下の日本で、報道してはいけない内容や、報道する際に問題となる内容を定めたルール」
と考えると分かりやすいでしょう。
1945年9月19日、GHQは日本の新聞に対する「プレス・コードに関する覚書」を出しました。
その後、新聞・雑誌・書籍など幅広い出版物が検閲の対象となります。
国立国会図書館によると、GHQの民間検閲は新聞や雑誌だけでなく、映画、演劇、放送、郵便、電報などにも及びました。
プレスコードはいつから始まった?
プレスコードが示されたのは1945年9月19日です。
ただし、GHQによる言論・出版物への統制は、それ以前から始まっています。
国立国会図書館の戦後史年表によると、1945年9月10日にGHQは「言論および新聞の自由に関する覚書」を出し、9月18日には朝日新聞を発行停止処分にしています。
その翌日の9月19日に「プレス・コードに関する覚書」が出されました。
つまり、プレスコードだけを単独で見るよりも、
終戦直後からGHQによる報道統制・検閲が始まり、その中でプレスコードが基準の一つとして機能した
と理解した方が分かりやすいでしょう。
プレスコードはいつまで続いた?
ここは少し注意が必要です。
「1948年に検閲が廃止された」と説明されることがありますが、GHQの民間検閲について国立国会図書館は、1949年10月に終了し、同年11月にCCD(民間検閲支隊)が廃止されたとしています。
したがって、記事では「1948年に廃止」と断定するより、
GHQによる検閲は1949年10月に終了した
とする方が正確です。
プレスコード30項目一覧
プレスコードの運用では、報道内容について細かい禁止・制限事項が設けられていました。
代表的な30項目として挙げられる内容は以下です。
- SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
- 極東国際軍事裁判批判
- GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判《修正:2018年4月26日、江藤氏原訳「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」を英文原文に従い修正。修正根拠は記載のアメリカ国立公文書館の典拠文書の記述に拠る。(細谷清)》
- 検閲制度への言及
- アメリカ合衆国への批判
- ロシア(ソ連邦)への批判
- 英国への批判
- 朝鮮人への批判
- 中国への批判
- その他の連合国への批判
- 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
- 満州における日本人取り扱いについての批判
- 連合国の戦前の政策に対する批判
- 第三次世界大戦への言及
- 冷戦に関する言及
- 戦争擁護の宣伝
- 神国日本の宣伝
- 軍国主義の宣伝
- ナショナリズムの宣伝
- 大東亜共栄圏の宣伝
- その他の宣伝
- 戦争犯罪人の正当化および擁護
- 占領軍兵士と日本女性との交渉
- 闇市の状況
- 占領軍軍隊に対する批判
- 飢餓の誇張
- 暴力と不穏の行動の煽動
- 虚偽の報道
- GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
- 解禁されていない報道の公表
こうして見ると、単に「戦争に関する報道を禁止した」というものではありません。
GHQや連合国に対する批判、占領政策への批判、軍国主義に関する宣伝、検閲そのものへの言及など、かなり広い範囲が対象になっていたことが分かります。
なお、プレスコードの適用には、さらに細かいカテゴリーを定めたマニュアルも存在しました。
朝日新聞がGHQから発行停止処分を受けたのはいつ?
プレスコードを調べると、朝日新聞の発行停止処分もよく取り上げられます。
国立国会図書館の戦後史年表によると、1945年9月18日にGHQは朝日新聞を発行停止処分にしました。
停止期間は9月19日から20日までです。
ここで重要なのは、朝日新聞への発行停止処分がプレスコードの覚書が出された9月19日よりも前だったことです。
そのため、
「プレスコードが出されたから朝日新聞が9月18日に発行停止になった」
と単純に説明するのは正確ではありません。
終戦直後からGHQによる報道統制が始まり、その翌日にプレスコードが示された、という時系列で理解するのが適切です。
プレスコードは現在も残っている?
ここは歴史的事実と現在の報道に対する考察を分けて考える必要があります。
まず、GHQによる占領期の検閲制度そのものは現在まで続いているわけではありません。
国立国会図書館によれば、GHQの民間検閲は1949年10月に終了しています。
そのため、
「現在の日本の新聞がGHQのプレスコードによって直接検閲されている」
という説明はできません。
一方で、
「占領期の検閲が、戦後の日本の報道や社会に何らかの影響を残したのではないか」
という問題意識を持つこと自体はできます。
ただし、ここから先は歴史的事実というより研究・議論の領域です。
例えば、現在の新聞報道について「中国や韓国への批判が少ない」「リベラルな論調が多い」と感じたとしても、それだけを根拠に、
「プレスコードの影響が現在まで残っている」
と断定することはできません。
現在の報道姿勢には、戦後の政治状況、新聞社それぞれの編集方針、社会情勢、読者層など、さまざまな要因が関係している可能性があります。
したがって、
プレスコードが存在したことは歴史的事実。
現在の報道にその影響が残っているかは別の問題。
と分けて考えるのが重要です。
プレスコードから分かる戦後日本の報道史
プレスコードを知ると、戦後の日本で報道がどのような環境に置かれていたのかが見えてきます。
特に興味深いのは、禁止・制限の対象が戦争そのものだけではなかったことです。
GHQや連合国への批判、検閲制度への言及、占領政策への批判なども対象に含まれていました。
また、新聞だけではなく、雑誌、書籍、映画、演劇、放送など幅広い分野が検閲の対象になりました。
戦後日本のメディア史を考えるうえで、プレスコードは重要な資料の一つと言えるでしょう。
まとめ
プレスコードとは、1945年9月19日にGHQが日本の報道機関などに示した報道基準です。
ポイントをまとめると、
- プレスコードは1945年9月19日に示された
- GHQは新聞・雑誌など幅広い出版物を検閲した
- GHQや連合国への批判などが制限対象になった
- 30項目にわたる禁止・制限事項が知られている
- 朝日新聞は1945年9月18日にGHQから発行停止処分を受けた
- GHQによる民間検閲は1949年10月に終了した
- 現在もプレスコードが直接存在するわけではない
- 現在の報道への影響については、歴史的事実と推測を分けて考える必要がある
「現在の日本の報道はなぜこのような論調なのか」という疑問を考える場合も、まずは戦後の報道史を事実ベースで確認することが重要です。
プレスコードは、その戦後史を知るための一つの手がかりになります。
【個人の意見】
朝日新聞に極端なリベラル思想なのはこの時からそういう記事を書いているからではなかろうか?
検閲されて発行停止にされたからそうならないように記事を書く事が慣習化して今でもそういう記事を書いている
だとしたら滑稽な気がしますね。
ではでは(^ω^)ノシ
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