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哲学的思考と人生

誰も知らなかった天才の特徴

更新日:

これを最後まで読んでも怒らないで欲しい。

ふと天才の特徴という奴を考えてみた。

一般的な天才のイメージ

wiki抜粋
天才(てんさい)とは、天から与えられたような、人の努力では至らないレベルの才能・その人を指し、主にきわめて独自性の高い能力的業績を示した人を評価したり、年若いのにあまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる。

 

個人的には嘘だと思っている。

 

 

 

 

アルベルト・アインシュタインの名言が正しいと思っている。

「天才とは1%の才能と99%の努力である」

 

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1%ってのがポイント

 

この1%って奴が曲者。

誰にでもあるからだ。

 

絵を描く才能というのは筆を持てる事

筆が持てるから絵が描ける。

 

猿にはできないことだ。

 

そんな当たり前の事をドヤ顔で話されても困る

 

そう思うのも無理はないです。

天才なんてものが生まれるきっかけなんて些細なもの。

 

たまたま上手だっただけだ。

それがきっかけで努力して天才と言われるくらいになった。

 

どれだけ努力したか?

それはわからないが想像を絶する努力を楽しみながらこなしたのは間違いない。

 

 

1%の才能とは何か?それは異常な程の愛だと思う。

 

 

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社会不適合者レベルの努力

 

ぶっちゃけると社会不適合者になるくらいそれに向き合ったのだろう。

 

ネットゲームの廃人と同じだ。

ゲームと現実は違う!

 

そう憤慨するかもしれないがこれは事実だ。

 

ネットゲームでレベル上げをする時に結構頭を使う。

 

  • どのダンジョンがいいか?
  • どんな武器がいいか?
  • 仲間は何人連れて行く?

 

などなど真剣に頭を使わなくては廃人レベルにはならない。

 

天才は現実でネットゲームと同じ事をしているだけだ。

 

ピアニストだったら

  • どんな指使いしたらいいか?
  • こんな風に弾けばいいのか?
  • などなど素人にはわからない感覚というか要素がある。

 

常に試行錯誤ができる人間を天才と呼ぶのかもしれません。

 

 

24時間、生活の全てを捧げられる人が天才なんだと思う。

仕事やプライベートで得た経験も全て得意なジャンルにつなげてしまう。

そういう人が天才、凡人と天才の差は何かと言えば常に努力していないかしているかの違い。

 

才能という言葉は言い訳に使われている。

 

実は僕、才能という言葉が嫌いです。

「才能があったんだね」なんて言われると虫唾がはしる。

 

自分の努力、毎日の積み重ねを否定された気持ちになるからだ。

 

僕はシルバーアクセサリーを自作するのが趣味だけど最初は酷かった。

 

処女作なんて見せられたものじゃない。

今ではTwitterのアイコンにできるくらいにはなったけど

 

そこまでになるのに物凄い努力があった。

 

それを才能の一言で済ませられたのはひどく屈辱だった。

 

これは僕が捻くれているだけかもしれんけど。

 

天才って言うのはネットゲームでいうと

ステータスの数値の振り方が極端な人間の事を言う。

 

野球の天才は野球に関するステータスしかあげない。

 

サッカーの天才はサッカーに利用できるステータスしかあげない。

 

まともに社会生活ができるか不安になるくらい偏ったステ振りをリアルでしているのが天才の特徴だろう。

 

つまり、頑張れば誰でも天才になれる

天才という人たちは練習や訓練に何十万時間という時間を使っている。

 

むしろそれくらいやれなきゃ天才にはなれない。

 

練習の時間じゃなくても常にその事を考えているような人間が天才になれる。

 

凡人からすれば狂気の沙汰にしか見えないけどね

 

スポーツ選手とかが引退後に落ちぶれちゃうのって実は得意分野から外されてしまうからではないだろうか?

天才になったけどもうその分野でお金を稼ぐ事ができないという風になればやはり人間は落ちぶれてしまうものです。

 

ではでは(^○^)ノシ

 

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