自由とわがままの違いとは単純に言えば
かの福沢諭吉先生曰く
自由とわがままとの境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり
非常にシンプルな意見であるが他人と意見が対立したり、勝負事になれば我儘にならざる負えない
他人を妨げなければ利益を得る事はできない。
そんな時に無理矢理、他人に迷惑をかけてでも利益を得ようとするのがわがまま
我を通す事も必要ではある。
わがままとは他人に依存する行為
スーパーマーケットなどで小さな子どもが
「ママ~お菓子買って!」
と泣いてわがままを言うなんて場面は割りと見かける光景だ。
わがまま、自分勝手、身勝手など自分のことばかりを考えて他人に迷惑をかける行為をさす
自分勝手な行動というのは必ず他人がいる。
スーパーマーケットでお菓子を買うにしても大人であれば自由にお菓子を買う
種類や組み合わせなんかも自由自在だし
大量に購入したい場合は卸売で購入したりネット通販でダンボール単位で購入したりする。
誰にも迷惑をかけない行為が自由。
だが、配偶者に内緒で高額な商品を買って生活を圧迫したり家族の生活スペースを圧迫してしまうのは【わがまま】になる。
他人、家族や友人、恋人などに迷惑をかけてまでやりたいことを貫くというのがわがまま
人間関係において少しのわがままも必要なのかもしれない
相手が迷惑に思わないくらいのわがままは人間関係を円滑にするスパイス。
使いすぎは厳禁だけど隠し味に使うと楽しく暮らせる。
自由とは?
自由というのは個人で完結できる範囲で自分の思う通りに行動する事です。
例えば思い立ったから旅行に行くとか
休日に二度寝するなど誰にも迷惑をかけないなら自由です。
自由であるというのは強さが必要な事。
例えば仕事を辞めたいと思った時になかなか辞められない人がいます。
しかし、自由がある人はスパッと仕事を止めてしまうでしょう。
もちろん、引き継ぎなどやるべき事をきちんとしたうえで退職します。
職業を自由に選択できるのは今の職場で働いてもいいし別の職場でも働けるという自信があるからです。
更に言えば経済的に働かない期間があっても構わないと思っている。
自由な人は仕事をいつでも止められるしすぐに転職できる。
自分の思った通りに仕事を決められる。
つまり、自分が入りたいというコミュニティに所属できる。
嫌になったらすぐに辞められる。
究極的に言えば社会に所属してもいいし大自然でサバイバルをしてもいいくらい
自分が思った通りに生きられる。
いつでも引きちぎれる首輪はアクセサリーでしかないし
出入り自由な牢獄は要塞と変わらない
他人と意見が合わなければ疎遠になればいい
自分で人間関係を選べたり自分で仕事を選んだりする事が自由なんだと思います。
真に自由な人は束縛を恐れない
自由な人の特徴というので束縛を嫌うというのがあります。
しかし、真に自由な人は束縛、ルールや法律を嫌わない
嫌になったら止めてしまえるから束縛されても構わない
その状態が楽であるなら束縛を受け入れる。
平日は朝6時に起きて身支度をして職場に行き仕事が終わって帰宅する。
そうする事が楽に生活できるならそのルールを受け入れる
逆に苦痛であるなら会社を退職して別の働き方をする。
束縛、ルールに縛られた方が楽しい場合もあるからだ
例えばサッカーのルールなどはきちんと守ってプレイする。
その方が楽しいからです。
それが嫌なら自分でルールを作って賛同する仲間と遊べばいい
自由というのはそういう事です。
自由であるというのは思いの外、難しい
他人に迷惑をかけない範囲で自分が思った通りに生活する。
自分が食べたいように食べて、休みたい時に休み、働きたい時に働きたいように働く
実践できている人は殆どいないと思われます。
真の自由というのは強者の特権と言える。
大人になるとある程度、経済力や判断力が身につくから自由になる範囲は増えるけど
自分が思い描く通りには振る舞えないと思います。
まとめ
自由とわがまま(身勝手、利己主義など)の違いは
- 自由・・・・他人に迷惑をかけずに思った通りに活動する
- わがまま・・他人に迷惑をかけてでも思った通りに活動する
似て非なるものです。
真に自由な人というのはなかなかいない
ではでは(^ω^)ノシ
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