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日本が息苦しいと思うのは勘違い?流派コミュニケーションの最終秘奥義に挑戦している人が多い

日本は息苦しいと感じる人がいるようです。
それは勘違いだと私は思っています。

何かと暗黙のルールみたいな物を意識し過ぎているというか本質を外している考えをしているから息苦しい。

 

 

 

 

 

日本人は集団主義ではない

日本人は集団主義と言われたりしますが

それは間違いです。

個人的な意見ですが日本人は外と内の線引きがかなりしっかりしている。

 

 

 

すなわち他人と仲間であったり他人と家族だったり

内側と外側でかなり扱いが違う。
敬語が発達したのだって外側と円滑にコミュニケーションを取るためです。

 

 

他人に迷惑をかけないという発想も根本的には無用なトラブルを防ぐためのテクニックみたいなものと言えます。

 

 

つまり自分の好きなコミュニティを大事にする。

自分が好きじゃないコミュニティとは程々の距離感を持って暮らしている。

これは個人よりも集団、組織を優先する思想とは真逆。

日本人が古来から持つ意識というのは個人主義というか自分と自分の身内を大事にする文化があると思う。

 

 

 

昭和の時代は会社の仲間も身内という感覚だったのだろうけど

令和の時代は会社の上司や同僚は他人という感覚が強いというだけではないでしょうか?

 

日本の社会が自分の所属するコミュニティで自分を活かすという仕組みになっているから集団主義に見えるという感じなのでは?

 

 

人によっては個人主義(リベラル)な人もいれば集団主義的な考えの人もいる。

ただ、社会全体を見た時に自分の好きなコミュニティに所属して活動している。

 

 

他人に迷惑をかけるな!

他人に迷惑をかけるな!と子供の頃から言われていますが

額面通りに受け取っていませんか?

 

 

他人に迷惑を絶対にかけるな!というのは不可能に近い。

しかし、迷惑をかけないようにお互いが気をつければトラブルは起きない。

 

 

 

そういう意味として捉えた方がいい。
過度に気をつける必要はない。

 

 

大切なのはトラブルを起こさない事にある。

もちろん、みんなが少しずつ我慢する必要がある。

 

それ込みで他人に迷惑をかけるな!が効いている感じ。

 

逆を言えば他人に迷惑をかけない限り自由に暮らせる社会。

 

その反面、困った時はお互い様という精神もあるわけで

他人に迷惑をかけず、身内とは助け合うというのが本質ではなかろうか

 

 

空気を読め!という幻想

昨今、空気を読めなんて言われたりしますが
それは第三者から見てAさんとBさんとCさんが自分がいてみんなの感情を読み取り円滑にコミュニケーションを取る。

という達人的な行為だと

個人的に思っています。

 

 

 

場の雰囲気がピリピリしていたりおめでたい席だったりすれば誰でも分かりますが

日常のありふれた一コマで細かい感情の機微を察知してというのは疲れます。

そんな奥義を誰も本気で要求していない。

 

 

 

実際、空気を読めって言う場面って茶化した感じだと思うんですよ。

息苦しいと感じる人は流派コミュニケーション奥義「空気を読め!」に挑戦しすぎです。

 

 

 

実際のところ空気を読めというのは害悪になる事が多い

ある種の同調圧力になるからです。

 

 

他人に迷惑をかけないように空気を読もうとするとありもしない同調圧力に負けてしまう。

 

 

息苦しいと感じるのはこの秘奥義【空気を読んで適切な行動を取る】というコミュニケーションの必殺技を取得すべく修行をしているからです。

 

 

空気を読もうとするのを止めると深呼吸もできるしオナラもできる。

 

 

 

 

形骸化した暗黙の了解が多すぎる

時代遅れな暗黙のルールが多すぎる。

というか意味も分からずに暗黙のルールを守っている人が多すぎる。

ビジネスマナーとかも時代遅れというか意味があるか分からないものが多い。

 

 

 

マナーや暗黙の了解はトラブルを避けるための物。

つまり、現代の感覚ではどうって事ない事でも昔の感覚だと

 

 

「メロスは激怒した」

 

 

みたいなレベルでキレる人がいた

大切な用事をほっぽり出してマジギレする人がいたから存在していた。

 

 

 

例えば銭湯や温泉で刺青を彫ってる人は入浴禁止なんてのは昔からありますが

それは昔は刺青を入れる人間はヤクザ、暴力団しかいなかった。

今は刺青を入れていても、普通の職業についてる人も珍しくない。

 

 

 

単なるファッションになった。

だから話題になってたりしますが

こういう過去にトラブルの種を摘むために必要だった暗黙の了解やマナーがいらなくなった。

 

 

けれど、ルールだけは残ってしまったというのが息苦しいと感じる理由。

質が悪い事にそういったくだらないルールでも守っていればトラブルには出くわさない。

 

ビジネスマナーは合理性で判断

ビジネスマナーというのはやっかいというか形骸化したマナーや必要もないのに作られたマナーがあったりするので殆ど、必要がない。

最低限で言えば

敬語とお辞儀が出来れば日本人と商売するのに困ったりしません。

 

 

後は扉をノックするとかそういうのですかね?

それと電話やメールのやり取りなんかも最低限のマナーなんだと思います。

後のビジネスマナーは覚えても覚えなくても良いレベル。

 

 

トラブルを回避するためのマナーなんだけど実はみんなそこまで意識していないという話です。

 

 

トラブルを避けるためにいろいろなルールを作って自分たちを縛ろうとする。

一つの国が長く続くと昔からの風習みたいなものが積み重なってしまう。

息苦しいと感じるのはそういったものを守ろうとするから。

 

 

まとめ

日本が息苦しいと感じるのは過度に他人へ配慮したり

迷惑をかけてはいけないという気持ちが強くなってしまったり

空気を読むという奥義に挑戦しているからです。

 

 

結果として誰も気にしていない暗黙の了解やマナーを気にしている。

過度に周囲の目を気にするような振る舞いを止める事が大事

 

 

電車で喋るくらいじゃ誰も怒らない、スーツを着てリュックサックを背負っても問題ない

※大声じゃなければ

 

それがダサいか格好いいかは別として。

大切なのはいらない、暗黙の了解やルールを少しずつ捨てる事なんだと思う。

 

 

結論、流派コミュニケーション最終秘奥義【空気を読む】を今すぐ止めよう。

 

ではでは(^ω^)ノシ

 

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