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ポリコレ映画がつまらないと言われる理由について考察してみた。

 

ポリコレ映画なんて揶揄されるほど現在のポリティカル・コレクトネスが重要視されています。

ポリティカル・コレクトネスという発想は悪くはないけど根本的に物語と相性が悪い

 

 

主にハリウッド映画をディスっていこうと思います。

映画を作るにしてもいろいろな人種を入れて映画を作るみたいな事をやっている。

 

 

それは別にいい、問題なのはアクの強いキャラクターをポリティカル・コレクトネスでは生み出せない。

残虐非道な人物を演じたり冷酷なマフィアだったり、荒くれ者の役を黒人にやらせなかったり

差別や偏見を助長するからと言って味気のない演技になってしまっていないだろうか?

 

 

個人的にポリコレは間違っていると思っています。

大事なのは言葉選びや態度ではなく無礼な態度に対する毅然とした態度であり

対等な口論であり喧嘩が必要。

 

 

相手に気を使う事は大事だけどそれは社会が強制する事じゃない。

相手に対するリスペクトが大事なのであって公正命題ある必要はない。

 

最近だとハリウッド映画よりも日本のアニメ、漫画の方が人気が出ているという話もある

その理由とは?

 

 

 

 

ポリティカル・コレクトネスとは

 

性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指す。

つまり、差別や偏見はいかんから公正で中立な言葉や表現を使いましょうって話。

 

「政治的妥当性」、「政治的公正」、「政治的適正」、「政治的正当性」、「政治的正義」などの訳語も使われる

 

 

 

ポリコレ映画は中立か?

ここで一つ疑問がある。

社会的に公正・中立であるということを誰がジャッジするかという問題だ。

 

 

マイノリティーの声は中立か?黒人やアジア人の声なら中立なのか?

全くもってバカバカしい

 

 

人間はどうやっても中立や公平を保てない。

好みがあるし歴史がある。

すべての人に受け入れられるというか誰からもクレームがこない映画を作るのは不可能。

さらに言えば言葉や表現という曖昧なものに対してこれなら誰も傷つけないなどという感じにしてはいけないのだ。

 

 

 

 

現実と映画の区別がつかない人が一定数いる。

日本では理解できないけど、外国じゃレイプ物のAVを見たり、ロリ系のエロ漫画を読むと犯罪者になってしまう!

みたいな話がまことしやかに囁かれていたりしますが

 

日本人は「フィクションと現実」をごっちゃにして考える事はダサいと思っています。

だから日本の作品には幅がある。

 

 

どんな残虐非道な事をやらせても映画の中、作品の中なら構わないと思っています。

最近のニュースでポリコレとは根本的に合わないと思ったのがFF7のバレットが黒人な事に文句をつけるような人がいた事です。

 

バレットを「怖い黒人(Scary Black Man)」や「怒る黒人(Angry Black Man)なんてお約束の表現”を誇張・滑稽化して描かれており、これは明らかな黒人差別だ!

なんて主張をしている。

 

 

ただ、疑問なのは何が問題なのか?バレットというキャラクターはレジスタンスのリーダーで頼れる兄貴的キャラクター

見た目がゴツくて腕にガトリング砲をつけていたりするけど。

 

バレットに不快感を持つ人なんてゲームをプレイした人ならあり得ない。

 

逆にバレットを白く塗れば人種差別ではないのか?白ければ問題ないみたいな話になるとバレットというキャラクターはどうでもいいから

俺たちが不快に感じるものは治せよという感じに見える。

 

 

 

007が黒人女性になった件

007が黒人女性になったという話でだいぶ苦言を呈している人も多いようです。

007はマッチョでイケメンでセクシーで男子が憧れるヒーローみたいなイメージでした。

作品の長所をわざと潰すような配慮というのはいかがなものか?

 

 

別のスパイ映画で黒人女性を主人公にセクシーで知的、時にバイオレンスな映画を作ればいいだけ

一つ一つの作品をポリコレで染めるというのはアホ。

 

大事なのは映画業界の多様性であり、マッチョな男性が活躍してもいいし、セクシーな女性、清楚で可憐な女性が事件に巻き込まれる話でもなんでもいい

映画における、公正、中立というのは作品の幅で決まる。

 

思い切り男尊女卑でもいいし、思い切り女尊男卑な作品があっても構わない。

大事なのはその両方がある事。

 

 

ハリウッド映画におけるポリコレとは中立、公正を追求するあまり個性を潰している。

真にポリティカル・コレクトネスな映画業界を目指すなら作品の幅をもっと広げるべき

個性的な作品が幅広くある事が真のポリティカル・コレクトネスだと思う。

 

 

誰かに忖度した作品はつまらない

ポリコレを意識した映画というのはぶっちゃけて言えば群衆に媚びた作品。

@kesuikemayakuはハリウッド映画にそこまで詳しくないから具体例は出さないけど

 

誰かに批判されないように、万人に受けるような作品というのは見ていて面白くない

万人受けを狙うと物語は必ず破綻するだろうし、

 

 

過激な表現は絶対にできないだろうし、

誰からも批判されないように作ろうとすれば称賛も少なくなる。

 

個性や強みも消してしまうからだ。

人種差別を無くすためにコンテンツから差別をなくしたところで何の解決にもならない。

 

 

問題はそこじゃない、

 

単純にマイノリティー、少数派に忖度して持ち味を消してしまうのが問題

 

 

あからさまに媚びているというの問題

持ち味を消してしまうという問題点も確かにそうだけど

あからさまにポリコレへの配慮をしました。

 

LGBTに配慮しましたというあからさまな媚びを感じるとやはり萎えてしまう視聴者はいる。

スーパーマンが新シリーズでゲイになったとか

ゲームの続編でヒロインがレズになっているとかあからさまにLGBTである事を表現する。

 

 

マジョリティからしたらいらないし、反感を持つ事も多い表現だ。

あくまでも臭わせるくらいがちょうどいいと筆者は思う。

 

 

考察の余地というか語らずに行間で理解するくらいでちょうどいい

 

テーマにもよるけどアクション映画とかサスペンスで意味のない人間関係をあけすけに開示する必要はない

 

 

万人向けを目指すコンテンツはつまらない

ポリコレうんぬんというのは誰のためのコンテンツなのか?

ターゲットが誰なのかが分からない作品だから面白くない

 

 

例えば

幼児向けのアニメである

アンパンマンを大人が見てもつまらないと感じるだろう。

 

逆に大人向けの深夜アニメを幼児が見てもつまらないと思うのではなかろうか?

 

 

ポリコレ、誰が見ても不愉快にならないといいつつ

マイノリティに媚ている。

 

 

昨今のポリコレ映画は少数派の人々や差別されていた人が気持ちよくなるための作品であるように感じますが

実際は映画の作り方とか説得力がないからつまらないのではないだろうか?

時代考証や今まで積み上げてきたブランドイメージを崩してまで新設定をぶっこんだり

 

 

世界観を壊してしまうから叩かれる。

変にマイノリティアピールをしたり意味もなくLGBTアピールをしたりするから変になる。

続編でそういう要素を後付けするから変になる。

 

 

料理で例えるなら完璧なレシピに珍しいスパイスを足してアレンジして失敗したという感じ

そしてポリコレには不条理な世界観を作れない

 

 

例えば差別がある世界や差別される人々を登場させられない。

残業非道な山岳民族とか冷酷非道な軍の上層部とか理不尽さが足りなくなる。

 

 

 

キャラクターの改変

続編のある作品に見られるのが登場キャラクターの改変

性格が変わってしまっていたり、特にストーリーとは関係なくLGBTにされたり

前作では伏線すらなかった大規模な改変がされたりする。

 

 

シリーズを愛していた人たちには許しがたい事だったりします。

変にマイノリティーへ媚を売っている事が分かってしまうと視聴者は白けてしまう。

 

 

日本ではそういう作品はあんまりないが欧米だと美女と野獣の美女を黒人のプラスサイズモデルにしたりする。

時代考証などは一切関係なくやらかすから、つまらなくなる。

 

 

オリジナル作品でポリコレをするのは構わないが既存の作品を改変してまでポリコレに配慮しようとするのが気持ち悪い

デブな主人公や障害を持っていても構わないが単なるポリコレの言い訳として機能しているのだとしたらいらない

 

オリジナルストーリーで作ればクレームはこない

ポリコレ映画と言われるけれど文句を言われるのは既存の作品に後付けしたりするから叩かれる。

 

日本のコンテンツにはLGBTをネタにした作品もあるし、いろいろな人種が出てくる作品もある。

 

 

ポリコレ映画と言われるものが批判されるのはオリジナルストーリーではなく既存のシリーズに対してキャラを改変したりするから

 

 

何というか完璧な味付けをした料理に新しく発売されたスパイスを足す感じ

 

それも露骨にこれでもか!っと振りかけるから味が壊れる。

 

007を女性にしたりリトルマーメイドのアリエルを黒人にしたりすると叩かれる。

 

人種がたまたま黒人だったけど演技が最高というなら納得するけど

 

作品の説得力は大事にしたい。

世界観にそぐわない物があると集中して見れない

 

オリジナルストーリーならポリコレの影響で面白いか面白くないかが判断できる。

 

 

だからこそ既存のコンテンツでやるべきじゃない

 

 

プロパガンダで作られたキャラクターには重みがない

こだわりがあってLGBTのキャラを作ったり黒人のキャラを出すなら分かるし

褐色の肌である理由が明確であったりすると納得感がある。

 

 

要はバックボーンが作られているから違和感がない

物語に必要だからこういう設定ではなく

こういう設定を追加するために物語を作るのでは本末転倒

 

 

性癖とか肌の色とか民族とかにこだわるならオリジナルストーリーを考えないとダメなのに

安易に既存のシリーズに背乗りするから良くない

 

 

昔からのファンを納得させる理由がない

キャラクターデザインが重視される作品もあれば容姿には意味が生まれる。

多民族国家が舞台であれば違和感はない

 

 

更に言えばテーマとしてきちんと扱っていれば批判も少ない

日本のアニメとかだといろいろな民族が出るような作品もあるし

ゲイやレズビアンっぽいキャラも出てくる

 

 

しかし、あくまでも匂わせる程度

 

 

匂わせる程度でいいのにハリウッド映画だとこれでもかとアピールしちゃう

露骨な優遇があると作品のテンポも悪くなる

 

 

まとめ

ハリウッド映画が面白くないつまらない原因がポリコレにあるとするなら

作品の個性を殺してしまう、更に言えばポリコレを意識しすぎて作れないジャンルがある。

歴史考証が台無しになっているなどが原因。

 

 

ポリティカル・コレクトネスって追求しすぎると個性もクソもなくなりそう。

というか多様性あっての公正であり中立だと思うんだけど

 

 

政治的判断で自由に作品を作れないとかキャラクターに見せ場を作っらないといけないとか

変なしばりプレイは邪魔なだけ

 

 

ではでは(^ω^)ノシ

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