たまにネットでテストにスマホを持ち込んでもいいじゃない?
みたいな議論があります。
確かに2018年現在、日本人はスマホありきな生活をしてるし、ノート持ち込み可の延長でスマホの持ち込み、使用がオッケーにならないかみたいな話なんだけど。
確かに関数電卓だったり、ノートの持ち込みを許可したりはするけど
スマホ検索を許可する事は教育、授業の内容を記憶しているか?教科書の内容を記憶しているかを確認する試験には不適格。
国語とか歴史なんかでスマホを使われたら100点を取るのなんて簡単。
テスト自体が無意味になる
スマホで検索して答えが出せる。
この作品の作者は?とかナトリウムの化学式は?
みたいな問題なら確実に正解する。
数学なら計算問題というよりも公式を調べたりする程度かもしれない。
けど、他の暗記系教科はテストする意味が無くなる。
国語、理科、社会、英語、勉強しなくても高得点が取れる。
辞書の持ち込みが禁止なのと同じでそもそもテストの意味がなくなる。
調べれば分かるというのは頭の中に知識が入ってるわけじゃないから。
スマホ検索を許可してしまえばそれは頭の良し悪しじゃなくてスマホ操作が上手いか否かのテストになる。
スマホで検索ができるというなら中卒も大卒も知能という意味では同じ
という事は高等教育を受ける意味がなくなる。
そもそも学校のテスト、受験などの試験は勉強した知識を制限時間内に引き出して答えを書いていく作業。
素早く知識を頭から取り出す訓練でもあります。
教育という観点で見れば致命的な失敗になる。
スマホ検索がOKなテストを例えば小学生のうちから受けていたら
学力なんて身につかない、スマホがネットにつながってないと役に立たないバカが出来上がる。
そして検索能力も落ちるから頭の良し悪し、スマホ検索能力も低下してしまう。
検索能力ってどれだけ言葉、キーワードを知っているかで決まるから
言葉を勉強しなきゃいけない。
だけどスマホ検索ができるなら勉強の必要性も無くなる。
スマホ検索によって知識を得る事は可能だけど知識に偏りができる。
知識を偏らせないようにするのが学校の教育。
幼い頃からGoogleさんに頼りきりというのは不健全。
もちろん、勉強するのにスマホを使うのはいいと思う。
ただ、テストでスマホ検索がOKになったらそもそも勉強しない。
そうなると、教養が身につかないし、エスプリを効かせた会話なんかも不可能。
ある程度、知識を知っていないと通じない話が出来なくなる。
知識をきちんと頭に入れてこそ勉強の意味があるしスマホの検索力だって知識がないと発揮できない。
つまり、基礎知識があって始めてGoogleが使えるわけなんだけど、最初からスマホを使って試験を受けるのは基礎知識
もしくは一般教養が身に付かなくなる原因になりかねない。
スマホがなきゃ使い物にならない人材
スマホがない状態ではロクに知識もない、複雑な計算もできない。
専門知識もない、という人材になる。
仕事をしている時に専門的な知識や雑学がスラスラと言えて、知らない人に分かりやすく解説できる能力。
これが重要というか高度な技術や知識が必要な職場では必要不可欠
スマホを使わせない職場だって普通にある。
例えば、研究所とか新商品の開発とか企業秘密にしたいものがある職場だったら
企業からしたらスマホがないとロクに知識もない人材はいらないと思う。
ユダヤ人の故事
ユダヤ人の陰謀説が流れるほど、頭の良い民族であるユダヤ人はこんな故事を残しています。
知識は奪われない
スマホは奪おうと思えば簡単に奪える。
しかし、頭の中にある知識は決して奪えない。
もちろん、無理矢理に聞き出す事もできます。
拷問して必要な情報を聞き出す事もあるでしょう。
頭の中にある、全ての知識を喋らせる事は不可能という事です。
知識は決して奪われない道具として頭の中にある。
スマホ検索が試験中に使える。
それは、更にスマホ依存が社会に蔓延してしまう恐れがあります。
まとめ
スマホを試験中に使えるようにする事は
スマホへの依存度が高くなるし
素早く知識を引き出す訓練が出来ない。
更に言えばスマホがなければ使えないポンコツ人材になる。
もちろん、スマホ検索ができるからと言って満点が取れるわけでもないけれど。
最終的に頭の良し悪し、じゃなくてスマホ操作の良し悪しになってくる。
試験の意味なんてないじゃん。
ではでは(^。^)ノシ
関連記事