日本の歴史を勉強していると天皇とか上皇とか法皇が出てきてややこしい
同一人物でも時期によっては上皇だったり法皇だったりします。
更に全然関係ないけれど教皇という名前も世界史で登場したりする。
こういった◯皇というのを一つ一つ解説していこうと思います。
教皇とは?
教皇というのは法皇や上皇、天皇とは全くの無関係
名前が似ているから混同しないように紹介します。
教皇とは何者か?それは
ローマ教皇 キリスト教の三大教派のひとつカトリックの最高指導者の事
初代教皇はイエス・キリストの弟子、12使徒のひとり聖ペトロとされる
教皇の権限で信仰に関する広範な決定権や高位聖職者の任命権を持つ
天皇とは
現在では日本の象徴として扱われる
子供にも分かりやすく言うなら王様の事
天皇というのは日本独自の呼び名で英語では皇帝と同じエンペラーと呼ばれる。
天皇と呼ばれる前は大王(おおきみ)と呼ばれていた。
日本で「天皇」号が成立したのは7世紀後半、大宝律令で「天皇」号が法制化された。
天皇で言えば天武天皇または持統天皇の時代にそう呼ばれるようになったというのが通説
10世紀移行、1000年間は【天皇】号の呼び方は廃れていたが19世紀頃に復活した。
天皇というより、天子、天子様という呼び方で呼ばれていた。
平安時代などでは政治の治世権をもち
国の祭祀をつかさどる祭祀権を保持し、その権威と権力は『古事記』『日本書紀』の神話によって根拠づけられた。
江戸時代になると天皇が直接、政治に関わるという事はなく元号を決める権利など政治に関わらない権利だけが残った。
上皇とは?
上皇とは太上天皇の事で天皇を辞めた後の尊称である。
譲位、退位した天皇は自動的に上皇となる。
意味としては天皇を引退して譲位したという意味でしかない
院政において実権を握った上皇を【治天の君】と呼んだ
第41代天皇、持統天皇が孫の文武天皇に譲位して、太上天皇と称したのが始まり
江戸時代後期仁孝天皇に譲位した光格上皇まで、計59人の上皇が存在した。
現在、今上天皇は譲位で即位したため、上皇は歴代60人存在している。
江戸時代移行、令和になるまで譲位が行われなかったのは明治時代からは天皇陛下が崩御するまで続けられたから
平成までは崩御した時に代替わりしているので上皇はいなかった。
上皇の人数に上限はないため、皇位継承問題で短期間に譲位する事もあり
上皇が多い時代もあった。
最も多かったのは、鎌倉時代の第94代後二条(ごにじょう)天皇の治世で、
- 後深草(ごふかくさ)上皇、
- 亀山(かめやま)上皇、
- 後宇多(ごうだ)上皇、
- 伏見(ふしみ)上皇、
- 後伏見(ごふしみ)上皇
の5人の上皇が並立した。
法皇とは?出家した上皇?
法皇というのは出家した上皇の事
法皇と上皇に身分の差はなく
単純に出家した上皇という扱いになります。
後白河上皇とか後白河法皇のイメージが筆者はなぜか強い
後白河法皇は源義経に検非違使に任命しているから印象が強いのかもしれません。
まとめ
天皇や上皇などの違いについてまとめると
- 天皇・・・歴史的に日本国のトップ、皇帝と並ぶ権威がある。日本は天皇がいるから世界で最高の権威を持つ
- 上皇・・・天皇を引退すると自動的に太上天皇、上皇になる引退した上皇という扱い、院政で実権を握った人もいる
- 法皇・・・出家した上皇の事、上皇と身分の差はない
- 教皇・・・名前は似ているけど天皇とは無関係、キリスト教カトリックのトップ
ややこしい言葉をまとめてみました。
法皇とか教皇はごっちゃになりそうですよね
ではでは(^ω^)ノシ
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