宦官というのは中国などで後宮の仕事をするために去勢された役人の事です。
昔の手術ですから失血死する事もあるし傷口が化膿する事もある。
成人してから去勢すると性欲自体は残るそうで
幻肢痛などの症状に悩まされたそうです。
解消できない欲望を他の権力欲や承認欲求で解消しようとするため、凄まじい権力闘争がそこにはあった。
詳しくは中国大陸の歴史を調べてほしい。
そんな宦官ですが日本で採用される事はなかった。
遣隋使、遣唐使はいろいろな知識や文化を日本に輸入したけど
科挙(かきょ)、纏足(てんそく)、宦官(かんがん)は取り入れなかった。
その理由について考察してみようと思う。
あくまでも私見なので事実と違うかもしれないけど、一意見として聞いてもらえれば幸いです。
日本の後宮は特殊
日本の後宮は特殊で最初の頃から女性が女官としてバリバリ働いていたり男子禁制ではなかったりした。
平安時代の後宮には男性官人や貴族が自由に出入りする事ができました。
平安時代末期から徐々に男性が立ち入れない場所になり江戸時代の大奥などは完全に出入りが禁止されています。
宦官などは使わなくても問題は起こらなかったというわけです。
世界的に見て10~11世紀ごろに女性が宮殿で働くというのはかなり珍しかった
少なくとも中華文明やイスラム教文化ではなかった。
宦官は非合理
宦官という存在がなくても後宮は運営できた。
ネットで宦官について調べると女性ではできない重労働をやってもらうために宦官がいたとされています。
しかし、よく考えてほしい。
後宮、大奥を運営するに辺り女性では運べないものとか女性には無理な重労働というのがまず思いつかない。
掃除、洗濯、料理、などなど家事全般はもちろん、経理などの事務仕事に至るまで別に宦官である必要はない。
現代でも男女の筋力差はあれど頭数が揃っているなら大体の物は運べる。
古代中国、ギリシャなど、宦官は遥か昔からあった制度ですが
現代には残ってない、というのも非合理で残虐だからではないだろうか?
纏足が宦官を増やすきっかけ
纏足というのは人体改造技術で足の小さな女性は可愛らしいという事で足を変形させて無理矢理小さな足にしてしまう技術。
幼少期に足の骨を折って小さくなるように固めて治すみたいなやり方、正確な方法は知らないし知りたくもない技術です。
中国では纏足は主に貴族の娘に施される施術。
農民の娘は纏足しなかった。(諸説あり)
一説では南斉から纏足が行われたとも言われているが、一般には南唐の李煜が足の細い女性を好んだことから始まったとする説も有力である。
纏足をした女性は体重を支えるにはあまりに小さい足なのでよちよちとしか歩けない。
走ったり重い物を持つことも多分できない。
中国の王朝、後宮には纏足された女性が何万人といたと考えると
そりゃ宦官が必要になる。
健康な足であれば後宮を運営するのは難しくない。
日本人は合理的な判断をした。
日本では大奥というハーレムを江戸幕府は作ったけど
それまで中国における後宮のようなものはなかった。
それに加えて
日本が宦官や纏足、科挙など中国の悪い文化を輸入しなかったのは日本人がとても合理的な考え方をしたからではないだろうか?
宦官は何故、去勢をするのか?
後宮の運営だけなら女性だけでも運営できる。
纏足に対してもワザと身体を変形させる事に美しさを見出せなかったのではないだろうか?
纏足自体、よくよく考えたら女性の自由を奪うためにやっていたのではないかという邪推もできる。
隋の時代、唐の時代に中国へ留学した人々にはそうした女性蔑視な文化は受け付けなかった。
という解釈もできる。
纏足に意義を見出せない、更に言えば纏足をしていない健康な足であれば後宮、大奥の運営は女性だけでも大丈夫。
という合理的な判断だったのでは?
例えば女性だけの後宮を現代の日本人女性に運営させてもやっていけるだろうし
当時の状況を再現してもそれなりにやれると思う。
科挙を取り入れなかったのは、科挙の試験で大事になるのは漢詩が上手に作れるかに重きを置いていた。
他にも儒教の経典を暗記する能力を問うなどの科目があったりする。
暗記力は重要ですね。
現代的に表現するなら、官庁に入庁するための試験で音楽の作詞ができないとダメ
・・・・というアホな試験だから
科挙で受かるのはそんなポエマーたち
計算能力や歴史などではなく漢詩を重視するのは、当時の日本人からすれば異常に映ったのではないだろうか?
そもそも、当時、天皇陛下が女性になる可能性があった。
遣唐使の時代、推古天皇は女性です。
という事は纏足は下手すると天皇陛下の足にまで及ぶ可能性があった。
平安時代、女性の権利というか権力を持った女性というのも一定数いるわけです。
この辺りが纏足が受け入れられなかった理由ではないでしょうか?
遣隋使から遣唐使に変わった事も影響がありそう
この辺りは私見でなんの根拠もない話ですが
随の国から唐の国に留学先が変わります。
随の王朝が滅びて唐の王朝が誕生したからです。
当時の日本人がなぜ隋の国が滅びたのかを考察しなかったとは思えない。
いろいろな要因はあっただろうけど、宦官の問題にも触れた可能性はある。
留学生として勉強する中で宦官や纏足と言ったものは排除する考えになったのだと思います。
まとめ
宦官がなぜ、日本に定着しなかったかと言うと
非合理だったから、そもそも当時の随や唐では貴族の娘は纏足されていて
労働に向いている体ではなかったから宦官が必要になったのではないか?
纏足は当時、女性の天皇が即位したりするくらいには女性の地位もある中で
「小さい頃に足を変形させて小さな足を作る纏足」が流行るとは思えない
なんだかんだ言って当時の女性は女房文学という枕草子や源氏物語を産みだす才人が多かった。
そんな中で纏足が流行るとは思えない
ではでは(^ω^)ノシ
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