ゼロリスクを求める事はあらゆるチャンスを逃す。
はっきり言って100%の安全なんてない。
単純に歩いているだけでも怪我をするリスクはあるし
いつも通りご飯を食べていてもお腹を壊すリスクは常にある。
ただ、この当たり前が分からなくなっている人が多い。
新しい事にチャレンジしたり問題が起きた時の対策にリスク0を求めてしまうのはバカ。
きつい言い方かもしれませんが100%の安全なんて存在しないし必ず勝てる勝負も存在しない。
ゼロリスクを気にする人というのは歩くとつまづいて捻挫するかもしれないから歩かないと言っているようなものだと思いますね。
どうも~2018年は兆戦の年にしたい@kesuikemayakuです。
新しい事をしようと正月に初詣なんかで願ったりする事もありますが、結局やらないという人は多いのではないでしょうか?
例えば、やらない理由の大体はお金、時間、そしてリスクだと思います。
正直な話、どれもこれも兆戦するのを諦めた言い訳に過ぎないと思うわけです。
安全を求めるあまり動けなくなってしまう、ゼロリスク症候群なんて揶揄されるものですが
怯えるのも馬鹿らしいものです。
リスクとは?
リスクというのは英語で危険性と日本語で翻訳される言葉ですが。
英語にはDanger(デンジャー)という言葉も危険という意味を持ちます。
Dangerというのはイレギュラーな危機を表現した言葉、普通なら有り得ない危険がある場合に使う言葉。
逆にリスクというのは日常的に潜む危険性の事、何かすれば低確率でこういう事が起きる。
ちゃんと対策していれば起きない危険の事を言います。
ローリスク・ローリターンとかハイリスク・ハイリターンなどの言葉があります。
投資であれ食品であれ医療であれ、何かしら低確率で危険性があるという表現がリスク
ゼロリスクというのは有り得ない
考えれば当たり前だけどゼロリスクというのは100%成功するという事。
大人になればそんな事は有り得ない事くらい分かる。
ゼロリスクを求めるなら何もやらないという選択肢しか取れない。
歩くのも転ぶリスクがあるし食品を食べるにしても添加物が人体に悪影響を与えるリスクがある。
喉に詰まらせるリスクがあるから餅を食べないなんてのもそう。
100%安全というのは有り得ないと思った方がいろいろな事にチャレンジできる。
趣味であれ、投資、副業、いろいろな事にリスクをかけて兆戦する事がより良い未来を掴むために必要な事です。
リスキーな事を避けてばかりいると将来の幅が狭まってしまう。
そちらの方がリスクではないだろうか?
失敗してもリカバリーできるのでリスクを取って行動した方がリターンがデカい。
リスクは0にできないけれど軽減できる
リスクをゼロにする事はできないけど限りなく0に近づける事はできる。
絶対は有り得ないけど努力と工夫で100%い迫れる。
例えば株投資をする時に一つの銘柄、企業の株を買うというのはまずない。
リスクを分散しいろいろな株を買って大きな失敗を避ける工夫をする。
一つの銘柄がトラブルを起こして倒産して株券が噛み切れなっても他の株があれば
大盛に支障はないのと同じ。
もしくはスポーツをする前に念入りにウォームアップしていれば怪我をするリスクを減らせる。
リスクゼロを疑え
むしろ危険性が0と謳っている方が怖い
絶対にあるはずの失敗や危険性について何も語ってくれないというのは絶対に怖い。
副業系のメルマガとかプロダクトローンチなんかは絶対に疑うべき
言うなればカロリーゼロのダイエットコーラみたいな感じです。
太る栄養素である糖分が少ないから0と表記しているだけで糖分は存在しています。
気にしなくてもいいくらいのリスクを除外してゼロリスクと言っている場合があるけど。
アフィリエイトとか副業、趣味をする場合はそれじゃダメ、きちんとリスク管理ができないと確実に失敗する。
リスクゼロだからと言って誘いをかける人は怪しいと思った方がいい
リスクとリターンをきっちり説明できる人と一緒に仕事をした方がいい。
Twitterの意見
「ゼロリスクしか容認しない」とい日本社会の深刻な病は、今後の日本の成長をあらゆる面で阻害する事になると予告しておく。
その病は90年代時点ですでに深刻だった。
当時IT技術者だった私は、プライベートで、ある日本人の銀行関係者に出会ったが、彼がまさにゼロリスクしか受け入れない人物だった。— タクラミックス (@takuramix) 2017年12月30日
…あんまりしつこいので、リスクゼロは通信回線に限らず、人が直接顔を合わせても手渡しでも実現不可能なので、通信にだけそれを求めるのであれば、確かに新しい通信回線を使ったサービスなどに手は出すべきではないでしょう。それを強みとして顧客からの信頼を得るという道もあるでしょうね…と
— タクラミックス (@takuramix) 2017年12月30日
…で、そのゼロリスクを求める傾向って、解消されないまま今に至ってると見ている。こんな「今」になるとは正直90年代には予想できてなかった。どこかの時点である程度のリスクを受け入れるのは当然だという方向になると思ったんだが、サービス提供者とかの側が、歪んだ方向に有能すぎたらしい…
— タクラミックス (@takuramix) 2017年12月30日
…だから、ふわっと曖昧にしておいたリスク感が現実に意識される事になると大騒動になるし、ならそのリスクってゼロに出来るの?といえば、そんなの無理なんで、そこでウヤムヤに出来るかどうかが勝負で、出来なきゃ潰すしかない…こういう世相に消費者が毒されて医療崩壊にも繋がっているのでは?
— タクラミックス (@takuramix) 2017年12月30日
…ある程度リスクを受け入れる事で、桁違いに便利になったり、効率的になって無駄が減ったりするという事もあるのに、その尽くに「ゼロリスク」でケチつけていくと、そら、世界から取り残されていきますよ。
それも、ゼロリスクの実現は自分以外の何かがやってくれるものという意識ではねぇ…~_~;— タクラミックス (@takuramix) 2017年12月30日
医療情報の研究会で、演者(米国人)に「日本はあと何年で医療データビッグデータとしてを活用できるようになりますか」って質問が出たけど「残念ながら日本ではその日は永久に来ない。なぜならば日本人は個人情報についてゼロリスクしか容認しないからだ」と答えたのが印象的だった
— ヴーシャ スタニスワフ (@wuscha) 2017年12月30日
年末の餅は最たる例で、老人が餅を食べる事を否定はしないが、それは死のリスクを受け入れるべきだし、ゼロリスクを求めるのなら残りの人生好きな物をずっと食べられずに胃に穴を開けて栄養剤を流し込まれる人生を覚悟しなければならない
— ヴーシャ スタニスワフ (@wuscha) 2017年12月30日
ゼロリスクしか容認できない人々といえば原発もそうだね(この話題すると、あたま悪い人からのリプ来るのでこれ以上書かない)
— ヴーシャ スタニスワフ (@wuscha) 2017年12月30日
ゼロリスク追及に順応出来ない医者はイチャモンをつけられ退職していく事もあるし、それに順応した医者はゼロリスクのため、最も患者が良くなると信じる選択肢ではなく、最も訴訟確率の低い選択肢を選び続ける。科学が積み上げたエビデンスが、判例という一素人の気分に負ける時代。
— ヴーシャ スタニスワフ (@wuscha) 2017年12月30日
大切なのはリスク管理
リスクというのは無くすものではなく管理するもの。
怪我や事故、もしくは投資で失敗しないように工夫する。
ギャンブルのようにイチかバチかではなく失敗しても大丈夫なように準備し
管理する事が大事です。失敗しても死んだり法を犯したりしていなければいくらでも再起可能です。
危険をゼロにする事よりも危険性を限りなくゼロにする事を優先し兆戦していくのが大切ですよ。
まとめ









リスクというのは必ずあってそれをゼロにするのは不可能。
ある程度のリスクを受け入れれば社会はとても豊かになる。
少しの危険性も許さないとなると衰退していくしかないし
個人は豊かになれない。
リスクはゼロにするものじゃない、管理するものです。
ではでは(^ω^)ノシ
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