作家の百田尚樹氏の「日本国紀」がウィキペディアのコピペではないかという疑惑についてですが
はっきり言って左翼的な活動家の妄言に過ぎない。
何故、コピペ疑惑を否定できるのか?
日本国紀が漫画や小説であったらコピペ疑惑が浮上した時点で検証され証明されてしまいます。
しかし、日本国紀が歴史書である限りコピペ疑惑というのは9割から10割がコピペでなければ成立しない。
9割から10割と言ったらウィキペディアの文字を時系列順に並べただけの物ならコピペしていたと証明できます。
あらすじは決まっている。
歴史書というのはある程度、あらすじが決まっています。
- どんな戦があって誰が勝ったのか?
- 誰がいつ、どんな事をしたのか?
- それがどんな書物に書かれていたのか?
一般的に歴史書というジャンルはそこだけしか書けない。
例えば関ヶ原の戦いで東軍の視点で流れを紹介するか西軍の視点で書くか?
そこは選べるけど結果は変わらない。
いつどんな事件があったのか?最新の研究結果を基にまとめるしかない。
歴史学者が新しい遺跡や資料を新たに発見しない限り、他の歴史書と同じ内容になる。
この縛りがあるのだから文章にしたらそれほど変わらないものが出来上がる。
学校に通う学生さんが歴史の先生、100人に同じ年代の事件について語ってもらった所で大体、同じあらすじになる。
歴史書である限り、登場人物に感情をのせられないし、個々のエピソードを引用するしかない
コピペだと主張する根拠の薄さ
コピペを主張する人たちが持ってくる証拠は、はっきり言ってお粗末。
キーワードを拾っているだけに過ぎない。
ブロガーにしか伝わらないかも知れないけど
日本国紀はコピペ!と主張している人たちはキーワードをコピペと言ってるレベル。
糖質制限ダイエットというブログ記事に対して、これはコピペじゃないか!
糖質と制限とダイエットの部分がコピペだし
糖質制限のやり方がウィキペディアで紹介されてる方法と同じ!!
という主張ですね、
確かに糖質制限ダイエットのやり方は無数にあるかも知れないけど、ポピュラーなやり方を紹介したらウィキペディアと被る可能性はある。
小説であるなら自由に書けるけど雑学系ブログ記事や歴史書と言われるジャンルは書くべき事が決まってしまう。
例えば大雑把に縄文時代の事を書く時にはいろいろなリサーチをかけて生活スタイルや食事、宗教観、それに有名なエピソードで魏志倭人伝のエピソードは欠かせない。
細分化して書いていくしかない。
科目を変えて説明したら分かりやすいかもしれません。
日本国紀がコピペ!と主張している人は
数学本に書いてある公式を見て、これはウィキペディアに書いてあった!コピペ!
と言ってるに過ぎないレベル
教科書、学術書、技術書は書かなくてはいけない事が決まっている。
誰が書いてもある程度、同じになる。
それは「それはコーラを飲んだらゲップが出る」くらい当たり前のことで書いてなければいけない部分を指してコピペだと主張するのは根拠としては乏しい。
日本国紀はオリジナリティ溢れる?
歴史書は書くべき事が決まっていると言いましたが
何を紹介して何を紹介しないかは百田尚樹氏の自由、どういう編集をするかでオリジナリティをだす。
もしくは作者の考察を述べる。
つまり、「事実」+「考察、私論、推論」をきちんと書き分けている事がオリジナリティを出す秘訣。
そういう意味では日本国紀はきちんとオリジナリティを出してきています。
私の推測ですがという建前でのみ自由な発言が許される。
コピペだ!と騒いでいる人たちの立場
日本国紀がウィキペディアのコピペだ!と騒いでいる人たちは右翼、左翼で言えば左翼。
更に言えば自虐史観バリバリの反日活動家なのではなかろうか?
@kesuikemayakuがTwitterのプロフィールを調べたら大体が左翼っぽい。
百田尚樹氏が書いた歴史書だから攻撃しているのか、それとも都合の悪い事が書かれているのか?
日本国紀を読んだけど問題になりそうな表現はなかったけど、百田尚樹氏憎しという気持ちだけでコピペなんだとクレームをつけているとしたら悲しい事です。
単に安倍政権憎しの延長、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神だったらとても嫌ですね。
著作権の話
日本国紀はコピペ!だから著作権違反とか、盗作!みたいな意見がありますが。
歴史の記述というは既にあった事を書くわけだから、著作権は存在しない。
ニュース記事に著作権があるのか?と言えばそれはない!
だって新聞の記事みたいな実際にあった事は記録であって創作ではない。
書き方や偏向報道はあれど、ニュース記事をコピペしようが実際に会った事なのだから著作権は関係ない
歴史を記す上で大切なのは書き方よりも歴史的な資料とちゃんと適合しているか?
コピペだと批判している人たちが仁徳天皇がセリフに対してコピペじゃないか!
と批判する事に対してオリジナルを現代語訳にしたセリフが同じである。
それは正しいわけです。
どの歴史書を読んでも仁徳天皇のセリフ、言ったことは同じでなければならない。
実際に起こった出来事、記録されているとおりに書かないといけない。
実際にあった事に対して感想や考察を書く、昔の出来事から現代でもこういう事があるよね
みたいなオリジナル部分があるわけです。
歴史の本には著作権はあるけど、実際にあった記録を著作権と呼ぶのは難しいというか無理。
創作物は著作権であるけど、記録は著作権がない
著作権うんぬんの話になると日本国紀を丸ごとパクる、事実+感想、考察すらもコピペしていたら
それは著作権違反だろうけど、歴史的事実には著作権はない。
まとめ
日本国紀は歴史書というジャンルなので他の歴史書やウィキペディアと同じような内容になるのは当然。
むしろ他の歴史書と大きく違っていたらおかしい。
歴史というのはあくまでも記録なので変更できない。
どう言葉を変えても100m走の世界記録が変わらないのと一緒
更新されれば世界記録は変わるけど、何年〇〇選手が新記録〇〇秒で一位
という記録は変わらない
歴史書というのは過去にあった事をまとめた本なので「いつ、どこで、誰が、どうした」みたいな事は大体同じになる。
日本国紀がウィキペディアのコピペだと証明するには文章が9割一致してないと無理。
よって日本国紀はコピペではない。
ではでは(^ω^)ノシ
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