チャーハンと焼き飯ってかなり似ているというか殆ど同じ料理に見えます。
仕上がりが全く一緒というか基本的に作り方も同じじゃないの?
チャーハンと焼き飯があると混乱するので一旦、整理したい。
こういう細かい部分を調べるのがものすごく楽しい
チャーハンと焼き飯は明確に作り方が違う!
チャーハンと焼き飯は同じ?
チャーハンと焼き飯はほぼ、同じものとして認識されている。
実際、友達や親戚、家族や恋人に聞いても違いを語れる人は少ない。
見た目は殆ど同じと言っても過言じゃない。
東日本ではチャーハン、西日本では焼き飯と呼ばれているのかもしれない?
と思いきやそれも違うらしい。
焼きおにぎり=焼き飯と呼んでいた。
東日本では焼きおにぎりを焼き飯と呼んでいたから
チャーハン(炒飯)が知られるようになった時に焼き飯とは名付けられなかった。
という説があります。
チャーハンの素という商品が売り出された時に広まったという説もあります。
中国語の読み方であるチャオフン(chao 3 fan 4)と発音するのですが
それだと日本人にはなじまないのでチャーハンにしたという話です。
関西の鉄板料理から発展した
関西ではたこ焼きとかお好み焼きなどの鉄板料理が発展した関係で鉄板でご飯を焼く焼き飯が登場した。
ご飯を単純に焼いて具材と合わせるだけだからチャーハンとは違う料理なのかもしれない。
塩味や醤油味の焼き飯もあるけどソース味の焼き飯もある。
なのでお好み焼きとか焼きそばの影響も受けている。
チャーハンの原型はインド料理のプラーカ?
チャーハンの原型はインドのプラーカという料理が原型であり。
プラーカがトルコに伝わってピラウになりフランスでピラフになった。
東の中華へ伝わりチャーハンになったと言われています。
本場中国の炒飯はスープで米を炊いてから卵と炒める。
日本のチャーハンともまた違う。
プラーカはお肉の煮汁で米を炊いた後に煮た肉とご飯を炒める古代インド料理。
本場中国に伝わったのが6~7世紀で当時は砂金飯と呼ばれていた、隋の時代なので当然、日本にも伝わっています。
油飯という名称で日本にも伝わっている。
この油飯が発展して焼き飯になったという感じなのだろう。
平安時代の書物にごま油で米を炊くという調理法が伝わってきたと記されています。
この手法はあまり広まらずチャーハンが普及したのは明治時代以降。
油で炊かずに鉄板で焼くようになったのだろうか?
油飯という料理事態は広まらなかったから焼き飯は別の発展型なんだろうけど。
焼き飯の作り方。
まず油を引いたフライパンにご飯を入れて味付けしつつ炒める。
炒めるというよりは焼く感じになる。
しっかり味付けして炒めたら溶き卵を絡めて完成。
チャーハンとの違いは卵を先に入れるか入れないか?
関西の粉もの文化の影響で卵を後で合わせるようになった。
お好み焼きとか焼きそばもそうですが具材を焼いてから最後に卵を乗っける。
これが関西のスタンダードです。
実際に作ってみた
材料は
- ご飯
- ウインナー 6本
- 卵
- サラダ油
シンプルな塩コショウ、醤油でお手軽男料理を作ってみた。
まずウインナーを切って中華鍋を温める。
中華鍋から煙が出始めたらご飯とウインナーを投入
チャーハンとの違いは炒めるというよりもご飯に焼き目をつける事を意識してみた。
ご飯に塩、胡椒で味付けし、しっかり混ぜる。
ご飯に焼き目がついたら、醤油で仕上げる
最後に卵を割ってよく混ぜて完成
今回は油少なめだったからご飯のこびりつきが気になったけど
少し弱火にして油を多くしてご飯をもっとカリカリにしてもよかったかも?
チャーハンとの違いは?
ご飯にしっかり焼き目をつけるからおこげが出来る。
部分的にカリカリとした食感がアクセントになる。
チャーハンみたいにパラパラにもできるけど
それよりもご飯のお焦げにこだわりたい。
まとめ
チャーハンと焼き飯の違いは
- 卵を先に入れてご飯と炒めるのがチャーハン
- ご飯に味付けしてしっかり焼いてから卵と絡めるのが焼き飯
チャーハンの源流は古代インド料理のプラーカが由来で
インドから西へ伝わりトルコのピラウ、フランスのピラフになった。
中華へ伝わり砂金飯と呼ばれたものが遣隋使に持ち帰った知識に油飯がある。
油飯が発展して焼き飯になったとは言い難いけど。
ご飯を油で焼くという発想は昔からあった。
チャーハンと焼き飯は似ているようで違うみたい
厳密に言えば日本のチャーハンと中国の炒飯もまた違う料理。
源流をたどると古代インド料理のプラーカになるのは面白い
東南アジアのナシゴレンとかもプラーカが源流なのかも?
ではでは(^ω^)ノシ
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