ちちんぷいぷいって子供の頃、転んでケガした時なんかに
「ちちんぷいぷい、いたいのいたいのとんでけ~」
みたいなおまじないをしてもらった事が誰しもあると思います。
泣いてしまった時なんかにちちんぷいぷいと言ってもらった記憶があります。
ちちんぷいぷいってどんな意味なんじゃろう?
という事でいろいろ調べてみた。
二つの説がある
ちちんぷいぷいには二つの説があり
- 春日局が子供をあやす言葉が間違って伝わった
- おとぎばなしでおじいさんがしたオナラの音
個人的には春日局説が有力だと思う。
というのもおとぎばなしでおじいさんがしたオナラの音が由来だと
なんでケガした時とか子供を泣き止ませたい時に使う言葉なのか分からないし
おとぎばなしのあらすじを見ても子供を泣き止むみたいなエピソードはなかったし
春日局説
江戸時代の太田全斎編の国語辞典(26巻)『俚言集覧』(りげんしゅうらん)に掲載されている伝説であるようです。
江戸時代、三代将軍徳川家光の乳母である春日局は
泣いてしまった竹千代(家光の幼名)に
「知仁武勇は御代の御宝」
と言ってあやしたそうです。
知仁武勇は御代の御宝だから泣かないで
という風にあやした。
これがなまって「ちちんぷいぷい」になったという説。
これは私見なんだけど春日局は知仁武勇は御代の御宝って言ってたけど
子供がマネした時に上手く言えなくて「ちちんぷいぷい」になったんじゃなかろうか?
知仁とは孔子の論語にある言葉
- 知・・・知恵がある事
- 仁・・・人を思いやる気持ち
- 勇・・・勇気がある
武は武道に優れたという意味
つまり 知恵があり人を思いやり武道に優れ勇気のある徳川家の宝、だから泣かないでという意味になる。
これは良い言葉だから流行ったんだろうな、
その伝説が元となって [ちちんぷいぷい七里結界」(ここは四方七里に邪を寄せ付けない結界だから安心しておくれ)という言葉が生れたり、民俗
学者・柳田国男が紹介する「屁こき爺」という昔話などが生まれたようです。
おとぎばなし説
屁こき爺という昔話でちちんぷいぷいが登場するようです。
あらすじ
「屁こき爺」
昔、昔、ある所におじいさんが住んでいました。ある日、おじいさんは、山へ薪を取りに出かけました。山を登っているときのことです。一羽の小鳥が飛んでくると、おじいさんの口に飛びこみました。
--しばらくすると、お臍から一本の長い毛が生えてきました。おじいさんは、引っ張ってみました。すると、 おならが音を奏でて、出てきました。
そのおならは、こんなふうでした。
「青々は、千代千代、五葉の宝松チンチキン。」
おじいさんは、家に帰ると、おばんさんに話しました。
「わしは、おならをすると、歌が出てくるぞ。」
「じゃ、さっそく聞かせておくれ。」とおばあさん。
おじいさんが、おならをすると、前と同じ音が出てきました。
お殿様もこのことを耳にすると、さっそくおじいさんに呼出状を出しました。
「われは、そちがおならで歌を奏でることができると聞いた。是非われのところに出向き、聞かせてほしい。」
おじいさんは、お殿様の大きな家に出向くと、恐る恐るお殿様の前に座りました。お殿様は、さっそくおならをするよう命じました。
おじいさんは、数回、「ちちんぷいぷい」と、おならをすることが出来ました。お殿様はしごく満足で、おじいさんに褒美を沢山与えました。
おじいさんは、お金を一杯もらって家に帰りました。おばんさんも、そんなに沢山のお金を見たことがありませんでした。
さて、意地悪爺さんとばあさんが、隣りの家に住んでいて、このことを立ち聞きしておりました。いじわる爺さんは、おじいさんに何が起こったのか聞きました。おじいさんは、今までのことを話しました。
いじわる爺さんは、山で小鳥を捕まえ、料理して食べました。お殿様の所に出かけて行きましたが、おならは出ませんでした。それどころか、うんちをしてしまいました。いじわる爺さんは牢屋に入れられてしまいました。(以上)
まとめ
ちちんぷいぷいに関しては
春日局が竹千代を泣きやますために
「知仁武勇は御代の御宝」と言ったのが
いつの間にか【ちちんぷいぷい】になってしまっていた。
更にちちんぷいぷいが流行っておまじないの言葉になってしまったという話は興味深い
おとぎばなし説はちちんぷいぷいが産まれた元ネタにするには証拠不十分な印象なので
@kesuikemayakuは春日局説を推す。
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ではでは(^ω^)ノシ