今川焼きとたい焼きの違いとは単純な話
形だけ、形だけとは言え形によって変わる事もあります。
良く話題になるけど今川焼きとたい焼きの違いって語れる人が少ないと思います。
更にどら焼きなんかも同じような食べ物と言えます。
どっちが先にあったの?
話を整理するためにどちらが先に生まれたのか調べてみました。
この話を聞けば納得です。
今川焼き
どちらが先にあったかと言えば今川焼き、大判焼きとか言われてる方です。
形が単純でたい焼き器を作るよりも簡単そうではあります。
今川焼きは江戸時代中期に神田の今川橋の近くにあったお店が命名して販売したという説があります。
桶狭間の戦いにちなんで今川焼きなんて説もあります。
人気が出てくると桶狭間の戦いから「たちまち焼ける今川焼」と宣伝されるようになりました
また、大きなサイズが【大判小判】の大判に似ているから【大判焼き】と言われたり
関西ではくるくると回して焼くから【回転焼き】と呼ばれたりします。
今川焼きが流行らなかったのは多分、桶狭間とか戦国大名の今川義元という名前にピンとこない人が多かったんだろうな。
たい焼き
たい焼きは1909年(明治42年)に東京で創業した浪花家総本店が発祥だとされています。
最初は今川焼きを販売していましたが売れ行きが悪いため
鯛の形に変えて売ったら大ヒットしたそうです。
鯛の形はとっても【めでたい】ので縁起物として売れたんだろうな。
結婚式の引き出物で【祝い鯛】が出されるから日本人は鯛が好きだったんだろうな。
形が変わっただけで生地に使われる材料やあんこなどの具材も同じ。
どら焼き
どら焼きの歴史は意外と古いようです。
どら焼きという名前の由来は二つの説があり
打楽器の【銅鑼(どら)】に似ている。
もう一つは平安時代末期に活躍した武蔵坊弁慶が関係しています。
源義経が奥州へ逃げた際、負傷していた弁慶は武蔵野の民家で療養していました。
出立の際に銅鑼を置き忘れてしまうというミスを犯します。
その銅鑼で生地を焼いたのが始まりなんて話もある。
逆にお礼として弁慶が銅鑼で生地を焼いたという話もあったりします。
どら焼きの原型は江戸時代で最初は紙のような薄い生地に餡子を挟んでいました。
あんこを乗っけて四角に折り畳んであんこを包むお菓子。
これだけ聞くと安土桃山時代の千利休が広めた【麩の焼き】から発展したお菓子のように感じる。
明治の初め頃に今みたいな丸い形になり、大正時代にカステラ生地であんこを挟んだ形になった。
こう考えるとそれぞれ完成した順番で言えば
- 今川焼き
- たい焼き
- どら焼き
という感じ
江戸時代には原型があって明治時代以降に完成したという感じですね。
生地の材料
生地の材料は
- 水
- 薄力粉
- 砂糖
- 卵
お好みで重曹とか蜂蜜とか練乳を入れる感じですね。
今川焼きとたい焼きで作り方は全く同じ。
あんことかも作り方は同じだしカスタードクリームなんかのバリエーションも同じ。
家庭で作るならホットケーキミックスでもいい
味の違い?
味の違いがあるとしたら食感だろうな。
どら焼きは両面がしっかり焼いてあってふっくらした感じ。
今川焼きは金型で固められてるからどっしりとした食べ応え。
たい焼きはあんこが入ってる身の部分とあんこが入ってない薄い尻尾の生地で食感を変えたりできる。
まとめ
どら焼きも今川焼きもたい焼きも生地やあんこは同じで形が違うだけみたいですね。
焼き方で食感も変わるから面白い。
勝手な考察だけど
どら焼きも今川焼きも元々は薄い皮にあんこを乗っけて四角に折って包んだお菓子が派生しま物ではないだろうか?
更にそのあんこを包んだお菓子も千利休が広めた【麩の焼き】から派生した感じがする。
【麩の焼き】はお好み焼きの原型と言われるお菓子で薄力粉を水とお酒で溶いた生地を焼いてお味噌を包んだクレープみたいな食べ物。
こう考えるとかなり興味深いというか面白い。
ではでは(^ω^)ノシ
この記事もおすすめ
あんこがたっぷりなどら焼き【もう1個ちょうだい】が美味すぎる!