唐揚げと言えば超人気な日本食
若鶏の唐揚げは老若男女、外国人からも人気を得ているメニューです。
そんな唐揚げですが鶏以外にも魚の唐揚げやタコの唐揚げなどがあります。
日本で唐揚げが食べられるようになったのはいつ頃なのでしょうか?
調べて見ると意外と歴史が古かったので紹介します。
唐揚げの発祥は中国文明?
唐揚げは元々、中華料理の普茶料理にあったもの
普茶料理とは精進料理の事で肉や魚を使わないお坊さん向けの料理でした。
当時の唐揚げは豆腐を細かく切って
揚げた後、醤油やお酒で煮込んだものでした。
当時はカラアゲではなくトウアゲと呼ばれていたそうです。
文字通り唐の国から伝わった揚げ物という意味ですね。
ちなみに普茶料理が日本に伝わってきたのが江戸時代初期、普茶料理の特徴は油と葛(くず)を使う事です。
精進料理と言っても現代人好みな味付けになっているそうです。
油で揚げる調理法は室町時代には中国から伝わっていたそうです。
江戸時代には唐揚げという言葉はなかった
当時は唐揚げという言葉がメジャーではない
そのため唐揚げが江戸時代にあったのかというと料理本を確認するしかない
唐揚げや空揚げなどという表記が出来る前は揚げ物料理の【衣かけ】という表現がされていたりする
小麦粉をまぶして揚げたりする料理法は『煎出(いりだし)』『衣かけ』と呼んでいた。
- 『南蛮料理書』には「魚の料理。何魚なりとも脊切り、麦の粉をつけ、油にて揚げ、その後、丁字の粉、にんにく磨りかけ、汁よき様にして煮〆申也」とある
- 1747年の『料理歌仙の組糸』には「鯛切身てんぷら」があり、「てんぷらは何魚にても、うんとんの粉まぶして油にて揚げる也、菊の葉てんぷら又ごぼう、蓮根、長芋其他何にても天ぷらにせんには、うんとんの粉を水醤油とき塗付けて揚る也、肴にも右のとおりにしてもよろし、又葛の能くくるみて揚るも猶よろし」
- 「衣かけ」という言葉は一時あった。1793年前後の『魚鳥献立集』や1805年の『素人庖丁』に見られる。
今の唐揚げにつながるのは戦国時代に入ってきたポルトガルやスペイン、オランダなどの影響を受けている
彼らの保存食には魚を油で上げてお酢につけた料理エスカベシュなどがあり
それが南蛮漬けという料理になったりしているし、天ぷらの基になった料理、フリッターなどがある。
江戸時代には魚を油で揚げる料理が生まれていた。
ただ、唐揚げという言葉はなかった。
明治時代には小アジのカラアゲやフグのカラアゲなどが生まれている。
鶏の唐揚げがメジャーな料理として登場するのは昭和になってから
鶏の唐揚げはいつごろ登場したのか?
1924年の『家庭鶏肉鶏卵料理』には「鶏肉のから揚げ」が記載されていたそうです。
中華料理の技法として唐揚げがあり、鶏肉のから揚げが記載されるのも当然の流れと言えます。
鶏のから揚げは1932年(昭和7年)ころ、東京の食堂・三笠が初めて外食メニューに採用した。
若鶏の唐揚げが日本で一般的な家庭料理として定着したのがここ30~40年のことです。
その中でも養鶏場が多い大分県北部(中津市・宇佐市など)は鶏の唐揚げの聖地となっている。
昭和30年代、宇佐市『来々軒』から唐揚げの作り方を受け継いだ唐揚げ専門店『庄助』が日本初の唐揚げ専門店です。
せんざんきとは?300年前の唐揚げ?
せんざんきは鶏料理が盛んな東予地方の郷土料理である。鶏のいろいろな部位の骨付き肉を使った揚げ物
昔はキジを油で揚げた料理で江戸時代にはあったといわれています。
しかし、詳しい文献などはないようです。
今も愛媛県今治市の郷土料理として残っています。
まとめ
唐揚げという名前は普茶料理、豆腐を細かく切って油で揚げて醤油やお酒で煮込んだ料理だった。
魚を揚げる料理というのは南蛮人の影響が大きい
江戸時代には天ぷらなどの油で揚げる料理が発展していった。
江戸時代~大正時代には魚のから揚げなども作られるようになった
昭和になってから鶏の唐揚げが広まった。
外食メニューとして初めて採用されたのが東京の食堂・三笠(昭和7年)であり
昭和30年代、宇佐市『来々軒』の味を受け継いだ【庄助】が日本初の鶏の唐揚げ専門店になる。
若鶏の唐揚げとは違うけど300年前にはキジを油で揚げたせんざんきがある。
ではでは(^ω^)ノシ
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