愛国心は必要か?なんて問われるまでもなく必要だろう。
海外旅行に行った事はないがネットで読む限り海外の治安は日本と比較すると悪い場所の方が多い。
メシは美味いし、文化や芸術、娯楽にテクノロジーが溢れている。
もちろんダメな点もある、完璧ではない。
愛国心というのを感じるとしたら
「日本人に産まれて良かった〜」
という漠然とした感覚ではないだろうか?
美味しいご飯があって、愛しい家族いたり頼れる仲間がいたり
春にお花見をして夏に花火を見る、秋には新米を食べて冬はコタツでミカンを食べる。
古い文化と新しいテクノロジーが共存し伝統の中にも遊び心がある日本に産まれて良かったと思う。
愛国心とは?
愛国心なんて言うと不特定多数のよく分からないものになる。
もっと小さい事から始めないと
- 家族が大事で
- 友人がいて
- 働く場所があって
- 行きつけのラーメン屋がある。
何気ない日常生活を俯瞰して見た時に守りたいと思えるならそれが愛国心。
家族や友人、大切な人がちゃんと暮らせる国を守る。
それこそが愛国心なんだと思う。
自分が生きてる社会を守る、守りたいと思う事に恥ずべき事は何もない。
愛国心なんて仰々しく言われちゃいるけど
自分と大切な人が楽しく暮らす土地を守る。
先人たちが残した知恵を守る事が大事。
他国が侵略してきたら大切な人の命や先人たちの知恵は奪われる。
自分の周囲、それが個人が感じられる国だと思う。
国家なんて言われてもピンとこないかもしれない。
活動家の愛国心に違和感を感じる理由
右翼活動家なんてのもだいぶ少なくなったけど
基本的に活動家が語る愛国心というのは現状を変えようとする動きだからです。
しかも、極端に物事は急激には変わらない
社会人になれば分かる事です。
だからこそ右翼、左翼関わらず過激な愛国心を叫ぶ人に警戒心を抱く。
例えば沖縄で反基地運動をしているリベラル活動家の方々だって愛国心に満ち溢れている。
だけどやってる事は米軍基地を撤退させ、更に自衛隊基地まで無くそうとしてるんじゃないかという感じ。
愛国心の悪用
活動家やマスメディアが言う愛国心というのは
日常生活を脅かすような事を言うから嫌われる。
例えば、2021年のオリンピック中止デモとか集まった人は愛国心を利用された人に過ぎない。
むしろ、集まって騒ぐ方が感染拡大するだろうという矛盾や
ワクチン接種が始まった時期のオリンピックで他国と比較して感染を抑えている日本がオリンピック、パラリンピックを中止するのは無理がある。
国際的な信頼を損なう可能性もあった。
どう考えても将来の我々が損をする行為だ。
日常生活を守るんだ!と勇ましく集まった人々の行動が日常生活を脅かすという矛盾がある。
マスメディアが愛国心は軍国主義を呼び戦争になるというロジックを使うがこれも根本的な間違い。
戦争がしたいと思ってる日本人は2021年の時点でいない、少なくとも駅前で
「戦争がしてぇ!○っ○してやる」
とか言ってるやべー奴はいない。
マスメディアの戦争忌避ってやり過ぎで
「日常生活を脅かすような奴が侵略してきたら全力で闘うべきだろう」
という当たり前のロジックすら封じてしまいそうな話をしている。
他国が侵略してきても戦わないというのは
- 強盗を笑顔で家に招待するとか
- 強姦魔に娘を差し出す
くらいにあり得ない
まとめ
愛国心は必要か?と言われたら
当たり前だし、わざわざ確認する事ではない。
愛国心というのは突き詰めると日常を愛しているか否か
大切な人と平和に暮らす世界を愛しているか?
という問いかけになる。
それが不要というのは流石に寂しい
活動家やマスメディアが愛国心を主張する時は日常生活を壊せと言ってるのと同義。
活動家は現状を打破するために愛国心を持って正式な方法ではない方法で現状を変更しようとする。
マスメディアはそんな奴らを見て愛国心という思想は危険だと言う。
日本が好きと大っぴらに言えないようにしてやると企んでようにしか見えない。
マスメディアの主張って痴漢は男が多いから男はみんな痴漢って言うような理論だと筆者は思う。
活動家やマスメディアがいう愛国心と政治家がいう愛国心って別物なんだと思う。
愛国心なんて仰々しい言葉がなくても家族を守りたい、家族が暮らす世界を守りたいって気持ちは当たり前に持ってる感覚じゃないだろうか?
ではでは(^ω^)ノシ
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