選択と集中という言葉があるが化学研究の予算分配などに関して政府が間違った意味で解釈している事が多い。
本来の意味は簡単に言えば剪定。
伸びない枝を切って栄養を幹にまわす。
もしくは日当たりの悪いところにある果実はカットして日当たりの良いところに実る果実をより大きくする行為。
これをビジネスや研究などの分野でもやるというのが選択と集中である。
だが、現代(2021年まで)に行われた政府の選択と集中は
画期的な研究にだけ予算をつければ日本はもっと発展するはずというアホ丸出しな事を言っている。
農業に例えるなら
農業で例えるなら色んな種類の種があり、どんな実がなるのか分からない
そこから美味しい野菜や果物、もしくは大きな木になる種だけを選ぶ
これがどれだけ無謀であるか分かるだろうか?
全ての種を発芽させある程度、育てないと結果は分からない。
当たり馬券だけを買う
ネットで出回るネタにもなっているが
「そうだ!当たり馬券だけを買えば大金持ちだ!」
「そうだ!画期的な研究だけに投資すれば日本はもっと発展する!」
これは同レベルの戯言として扱われます。
そもそも、当たり馬券が分かるとか超能力者かタイムリーパーにしか無理。
このレベルのアホな判断をしている制度や法律は変えるべきだろう。
役に立つ事を研究に求めてはいけない
社会の役に立つ研究を求めてはいけない。
発想が貧困になるし、研究結果を製品にするのは研究者ではなく技術者の仕事だ。
どんなに役に立たないと思われる研究や実験であっても将来、役に立つかもしれないし
別の研究のブレイクスルーにつながる可能性もある。
今の価値観で役に立つとか役に立たないとか考える事が無益。
政府は研究者にもっとお金を出すべき。
5年〜10年単位で監査は必要
選択と集中というなら5年〜10年単位で論文や研究結果を査読して監査する必要はある。
全く、論文が書かれていない研究や用途不明のお金が多い場合などは予算をカットという形にする。
論文やデータなどがあれば予算は確保できる。
逆に論文やデータが無ければ予算は減らしていく
選択と集中とはそういう形でないといけない。
何年も研究していて全く論文やデータが出ないというのはあり得ないのでそういう研究は予算をカットしていく形にする。
用途不明のお金や研究結果の持ち出しはNG
用途不明のお金や研究結果を海外に持ち出す行為を厳しく罰する必要はあるだろう。
科研費を必要な分、確保させるならこれは当たり前の処置。
よく分からないお金の流れは断ち切るべきだし
日本の研究結果はどんなものであっても海外に流出させるわけにはいかない。
中国の千人計画などに参加する研究者が出ないようにするためにも研究者への科研費はケチってはいけない。
用途不明なお金というのはもしかしたら反基地活動とか反原発派の資金になっていたりしたら目も当てられない。
まとめ
企業にせよ政府にせよ選択と集中というのは
これ以上、発展が見込めないものを剪定する行為であって
種の段階で美味しい物を選ぶ行為ではない。
同じ種であれば重さとかで選べるかもしれないけど
全部、違う種類の種から当たりだけを育てるというのは土台無理な話。
とりあえずお金をだしてその成果によって判断するしかない。
なので政治家が選択と集中と言った時に
〇〇を止めるなら賛同できるが
〇〇をやらないというなら反対だ。
どんなアホっぽい研究であっても申請があればお金を出すべき。
ではでは(^ω^)ノシ
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