ポリコレは欧米を中心に広まっている概念だ
社会的中立性とか表現に偏見や差別をなくし
人種や性別、年齢、障害などを有無がある社会的弱者を守るための取り組み
差別や偏見をなくそうとして逆に歪みが生じているのがポリコレのうざいポイント
万人受けする表現はない
ポリコレのおかしな点というのは万人受けする表現はないという事だ
例えば、映画で人魚姫を黒人にする
原作の設定を変えてしまうような事をするのは絶対に不満が出る事だ
何故なら原作のイメージを壊されるからだ。
黒人は嬉しいと感じる人もいるかもしれないが白人の人々は勝手に設定を変えられて不満を感じるだろう。
社会的弱者を優遇する方向に流れているがあまりにも露骨だと見ていてイライラしてしまうのも仕方ない
ポリティカル・コレクトネスはいつ頃から使われていた
ポリティカル・コレクトネスは元々、マルクス・レーニン主義の用語で1917年のロシア革命後に使われ始めた
そう考えるとかなり胡散臭いというか失敗した共産主義という思想からうまれた言葉に価値があるのか考えてしまいます。
1990年代初めのアメリカではリベラルなカリキュラムに反対するために使われるようになったとか
ポリコレの基準は誰が決めた?曖昧?
ポリコレの基準は?誰が決めたのか?それはかなり曖昧なものです
例えば保母さんとか保父さんという言葉をなくして保育士に統一しようとか
〇〇くんとか〇〇ちゃんだと男女で名称を変えるのは止めようとか
人によってはLGBTで女性のように扱われるのはいやとか男性のように扱われるのはいや
みたいな人がいるという、はっきり言ってそこまで気を使いたくはない
名称を変えよう(自発的に)という怒られてもいないのに名称を変えて配慮した気になるのはよくない
例えばアメリカ人がBlackと呼ぶのは差別的だからアフリカン・アメリカンと呼ぼうみたいな感じで名称を変えた
これがアフリカン・アメリカンの総意である、自己主張の結果であれば問題ないが白人の偉い人が勝手に決めた事なら
善意の押しつけだろう。
最近のやりすぎたポリコレというのはこういう、白人の思い込みというものを反映しているように見える
つまり、ピントのズレた善意を押し付けられる事でうざいし不快になっていると言える
ポリコレの逆が正しい(筆者の考察)
ポリコレはみんなが不快にならないように政治的正しさを追求している思想なわけだけど
絶対的な正しさ偏見を全てなくす事はこの方法では出来ない
筆者はこの逆、みんなが平等に不快な気分になればいいと考えます。
悪口をいうのはいい、きちんと悪口を言い返す土壌が必要だと言うこと。
ポリコレの弱点は正しさを押し付ける事で言論が不自由になる事だ。
他人への不満を封じる、差別だと言われたら何も言い返せないような世の中では良くない。
例えば
「日本人は〇〇だ!」
と言われたら
「中国人には言われたくない△△をしたくせに」
と言い返せる世の中が正しい
このようにきちんと言い争いをする事が大事だと思われます。
みんなが少しだけ不快になる、一人勝ちを防ぐ仕組みこそが大事になる。
現在のポリコレにはそれがない
社会的弱者という立場を作り出し、そういう人々が有利に見えるような社会を作っている
まとめ
ポリコレのうざさ、やりすぎと言われるのは
ピントのズレた善意、正しさのおしつけ
最初は当事者ではなく白人の偉い人が主張しはじめたような事であるからおかしな話になる。
個人的には社会的中立性を保つならみんなが差別や偏見を避けるのではなく
みんなが平等に対等に差別や偏見を押し付け合う方が相互理解が深まる気がしてならない
偏見やステレオタイプが悪いのではなく言い返せない事が良くない
偏見や差別をお互いにしていた方が変にきれい事を並べるよりも健全に見える。
一方的に相手を傷つけるのではなく、相手も対等だとよい
差別というのは理不尽な行為、悪口に対して反撃が出来ない状態にある。
それを是正してみんなが対等に悪口を言える事が重要になる。
ではでは(^ω^)ノシ
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