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日本で馬車は発展しなかった理由とは?牛車は使われたのはなぜ?

日本の歴史で馬車はどういう扱いなのかと言えば

日本で馬車が運用されたのは幕末。
慶応2年10月1日に幕府が江戸市中や五街道で荷物輸送のために馬車を利用する事を許可

3年後の慶應5年(1869年)から東京〜横浜間を乗合馬車が走ったと言われています。

 

 

 

横浜にある馬車道などの地名があるのはそのため。

世界では紀元前4000年頃、ウクライナで馬の家畜化され

 

 

紀元前3000年にはシュメールで車輪が発明されたそうです。

馬車が生まれたのは紀元前2500年と言われています。

 

 

 

そう考えるともっと昔から日本に馬車があってもおかしくない。

日本で馬車が普及したのは明治時代になってからだ。

 

 

 

 

馬よりも牛

日本では馬車よりも牛車の方がポピュラー
平安時代に貴人が牛車に乗って出かける事が多かった。

小説やドラマでも馬車よりも牛車になる。

 

これは何故か?

日本では馬の去勢をする文化がなかった。

 

 

そのため雄馬は牝馬を見て興奮してしまい行軍を乱したり

非常に気性の荒く馬車などには向かない。

 

 

 

また、日本の馬は現代のサラブレッドやばんえい競馬の日本ばん系種と違い日本の在来馬は小さい

という事は力も弱かったと考えられる。

そうなると大人しくて力の強い牛が重宝された。

また、ゆっくりしか移動しないが山道などの悪路を物ともしない牛の方が需要があった。

 

 

 

牛は農作業にも使われたし塩の行商なんかにも使われた。
年貢のお米を運ぶ時も大八車を牛に引っ張ってもらった。

 

 

 

 

日本の地形は車輪と相性が悪かった?

参勤交代などの絵を見ると分かるけど馬に乗るか歩くかという感じ

重い荷物は2人1組で肩に担ぐ

 

 

これは何故か?

 

日本の道は砂利をまいただけという場所が多く
湿気も多いためぬかるみ安く少しの雨でも車輪が回らなくなる。

 

 

馬に馬力があれば動くかもしれませんが日本の在来馬は小型。

そのため馬や牛の背中に荷物を載せて旅をしていたようです。

 

 

道が悪くて馬車はあまり使われなかったという感じでしょうか?

更に橋なども崩れやすいせいか江戸時代の頃は渡し船が多かった。

 

 

大八車を牛に引かせる事もあったようだけどそれは過酷な道に負けない力があったからだ。

 

 

 

陸路よりも海路

大量の物資を運ぶなら船に乗せて海路で運んだ方が早い

陸路を進むよりも海の方が大量にものを積み込んで運べるから陸路よりも海路が日本の物流を支えていた。

こうなってくると馬車の必要性がなくなってしまう。

 

 

日本は島国で陸路よりも海路で荷物を運んだ方が効率がいい

だから大量の荷物を運ぶなら馬車よりも船だった。

 

 

 

 

まとめ

日本で馬車があまり発展しなかったのは

  • 馬の気性が荒い
  • 道がぬかるみやすい
  • 陸路よりも海路

 

この三点から道がしっかり整備されるまで馬車を運用する事はなかった。

江戸時代の場合、乗り物はカゴだったり馬だったりした。

明治時代まで馬車は採用されなかったというのは面白い。

 

明治時代には乗合馬車や鉄道馬車が蒸気機関車や自動車が普及するまで活躍したようだけど

それは街道がきちんと整備されたからです。

 

日本の歴史が登場しなかったのはこういう理由なんですね。

便利そうなんだけど、馬の気性が問題になったというか去勢の技術が普及してなかったのも驚きますね。

 

 

ではでは(^ω^)ノシ

 

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