政治家は原稿を読むだけじゃないか!
自分の言葉で演説してみろ!
というのは酷く的外れだ。
別に事務方が勝手に作ったのを総理大臣とか大臣が読んでるわけじゃない。
そうだとしたら、日本は政治家じゃなくて官僚が支配してる独裁国家になっている。
なので確実に政治家と原稿を作っている人がヒアリングをして作っている。
もちろん、簡単な質問であれば原稿なんてないのかも知れませんが。
個人的に野党なんかは全く、原稿なんて使ってないのかもしれません(偏見)
仮に絶対、言い間違えをしてはいけない演説であったり発表をする時は確実にいるのが原稿。
カンペです。
答弁書はあらかじめ作られている。
何故なら絶対に間違えてはならないからです。
スピーチが上手い必要はない。
スピーチ、つまり喋り方が上手い必要は全くなくて、大切なのは内容であり。
棒読みでも構わない。
大切なのは国民への情報発信や内閣としての方針を伝える事である。
演説が上手いだけで中身がスッカラカラでは困ってしまうわけだし。
政治家として自分たちが考えた政策や方針を一言一句、間違えずに発表する事の方が重要。
正直、スピーチが上手いだけで中身のない事を言ってたりする人は歴史の勉強を改めてしている身としてはあんまり信用できない。
答弁書が出来るまで
第一段階
国会待機
どんな質問が出るか待っている段階
第二段階
質問の割り振り 政府に質問が出た場合はどの省庁が質問に答えるか決める。
第三段階
答弁の作成、割り振られた部署が答弁書を作成。
第四段階
関係部署との合議(あいぎ)
答弁書を元に総務課と関連の省庁が意見を出し合い必要があれば調整する。
質問の内容によっては複数の省庁が話し合い調整する。
第五段階
答弁者へ連絡
答弁書を秘書などに渡す。総理答弁の場合は総理官邸に届ける。
第六段階
答弁者への説明、場合によっては答弁書の内容を詳しく説明する必要がある。
第七段階 答弁、委員会や国会で答弁する。
答弁書などの原稿が必要な理由
答弁書や演説原稿は野党への隙を与えずに終わらせる必要があるため、かなりキッチリ作られている。
なので政治は原稿を読むだけ!というのはあまりに酷い。
基本的に質問に答えたり、新しい法案の草案の作ったりする時は官僚と二人三脚になる。
不備がないようきちんと成立するように作るのが基本であり政治家が法律の条文を隅から隅まで知っている事はない。
つまり、政治家というのは方針を決めそれに向けて法律を作ったり改正したりする。
なので原稿を読んでるだけというのは間違いであり、政治家としての方針とやり方を決めている。
原稿を読んでるだけという批判は成功の証
原稿を読んでるだけという批判はある意味、答弁書としては成功している。
答弁書に不備があれば国民やマスコミはそこを指摘するからだ。
自分たちの法律草案や答弁にミスがないから原稿を読むだけなんてけしからん!となる。
内容に不備がなければ大成功と言える。
野党やマスコミ、そしてパヨクが原稿を読んでるだけだ!と批判するのは上手くいってる証拠になる。
結局、与党の政治家は目的のために法律やシステムをコントロールするのがお仕事なわけだし。
それを間違いなく伝えるためにも答弁書とか必要。
野党やマスコミ、反対派にツッコミを入れられないというのは大きな成果
もしくは野党やマスコミの劣化
まとめ
政治家の答弁書や演説の原稿は官僚と協力して作った曲解や恣意的な運用、野党からの対案やマスコミからの批判を最小限に抑えるために必要不可欠
個人的には原稿に文句を言う人は政治的な部分に文句がつけられないからイチャモンをつけているだけだと思っています。
だから、原稿が〜に騙されてはいけない。
ではでは(^ω^)ノシ
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