人類はお風呂に入る習慣があるけどそれはいつからだったのか?
調べてみるとかなり古い
日本ではお風呂に入るのが当たり前だけど
日本以外ではどうなのだろうか?などなど
調べると面白い
古くはメソポタミア文明から浴室は作られていた。
ぶっちゃけて言うと水浴びとかは古代文明からあった。
神話にも登場したりするし
ではお風呂、体を清めたりリラックスするために水を温めるという行為はいつから行われたのだろうか?
古代文明の時からあった
紀元前4000年頃メソポタミアで、清めの沐浴のための浴室が作られ、紀元前2000年頃には薪を使用した温水の浴室が神殿に作られていました。
つまり、人類が認識している最古の文明でもお風呂に入る文化はあった
他にも古代メソポタミアやインダス文明の遺跡からは給排水設備が、エジプトではシャワーの遺跡が発見されています。
古代ギリシャではギムナシウムと呼ばれる施設が作られ
競技場や文化施設、図書館から浴場がある大きな施設が建てられ、
古代ローマの入浴文化に大きな影響を及ぼしました。当時のギリシャの入浴は体を清潔にするのが第一の目的。
だけどローマ帝国時代には豪華な浴場施設が多くあった。
お風呂文化は古代エジプトでも楽しまれていたそうです。
ヨーロッパではお風呂文化は衰退した
ハドリアヌス帝の頃に男女別浴になったり、それは浴場で売春が行われていたからです。
更にキリスト教の普及でお風呂文化が弾圧されます。
ローマの入浴スタイルは退廃的だとされ敬遠され廃れていきます。
入浴文化は十字軍が登場するまで弾圧されて、ヨーロッパは入浴習慣のない「不潔の時代」を迎えるのです。
更に14世紀、ヨーロッパの公衆浴場はお湯を変えずに営業していたためコレラやペストなどの病原菌の温床になったため
公衆浴場が閉鎖されるという事態になり
お風呂は体に悪いという認識が広まったそうです。
現代人ならどう考えても腐った水のお風呂なんて入る気にならないだろうけど。
産業革命の時代になると公衆衛生が見直されて「入浴」はむしろ健康に良いと見なされるようになりました。
1875年にイギリスで「公衆衛生法」ができ、入浴が奨励されるようになりました。
伝統的に入浴の習慣を持っていたユダヤ人がペストなどの病気になりづらいのを見てヨーロッパでお風呂が浸透するきっかけになったと言われています。
アジアやアフリカはお風呂というよりも水浴び
東南アジアやアフリカなどはお湯を温める必要がなかったので水浴びをする事が多かった。
体をきれいにするだけなら水浴びで十分だし温まる必要がなかったという事です。
インドやタイなど東南アジアの国々ではお湯に浸かるという風習がなかった。
インドの「熱気浴」が中国大陸から日本に伝わったと言われています。
熱気浴自体はインドではメジャーになっていませんね。
どちらかと言えばサウナというか蒸し風呂は寒い地域で文化として根付いている印象
中国では
中国(中華文明)でお風呂はどうだったのかと言えば
殷周時代には儀式として沐浴をしていたみたいですし
春秋戦国時代には沐浴場があったとか?
秦の始皇帝が阿房宮の中に広大な浴場を作らせたという記録も残っています。
唐の時代には王侯貴族が温泉に浸かっていたという話もあります。
かの楊貴妃も温泉好きだったとか
庶民が使える公衆浴場が作られたのが宋代の時代です。
明や清の時代になると公衆浴場もグレードアップして浴衣みたいなものがあったり
家で入浴する事ができたり日本と同じような感じですね。
日本では?
日本ではいつからお風呂や温泉を利用していたのでしょうか?
不確かだが縄文時代から温泉に?
記録が不確かだが縄文時代の人も温泉を利用していたという話もある。
考古学者である藤森栄一氏が行った長野・上諏訪駅前の土地の発掘調査で、縄文前期に使われていた土器片の発掘された層に、その痕跡を発見しています。
「地下5.5メートルの真っ黒な有機上層で、大石がごろごろと、ほぼ環状にならんだところがあった。硫化物の臭いが鼻をうった。硫黄質の湯が湧いていたことは確実である」(藤森栄一全集・第四巻)
「6メートル下のスクモ層下に大きな岩石が累々とあって、そのまわりは明瞭にかつて湯が湧いていたことを示す湯アカがいっぱい。・・・調査員はそのどろどろの、いまも硫黄臭と鉄のくさったような湯の匂いのただよう岩のそばで、思わず―湯に入っていたんだ―とつぶやいたのである」(藤森栄一『縄文の世界』)
記録に残っている日本三大古泉
風土記や日本書紀などにも温泉が登場している。
風土記は地方別にその風土・文化その他について記した書物。 奈良時代の地誌。 和銅6年(713)元明天皇の詔により、諸国の産物・地形・古伝説や地名の由来などを記して撰進させたもの。
日本書紀は養老4(720)年に完成したとされる。
どちらも7世紀に書かれたもので温泉文化はそれ以前からある。
風土記に登場する日本三大古泉は
- 兵庫県の有馬温泉
- 和歌山県の白浜温泉
- 愛媛県の道後温泉
お風呂はインド~中国から?
お風呂文化は6世紀頃に中国から伝わったと言われています。
当時は仏教では「お風呂に入ることは七病を除き、七福が得られる」という教えもあり、お風呂は健康にいいと人々に理解されていました。
お風呂の文化は仏教からだったんですね。
お風呂で体を清めるというのはお坊さんにとって大切な仕事だったと言われています。
だから、お寺には浴堂が作られ庶民も利用できたとか
当時、伝わったのは蒸し風呂とお湯に浸かるという割と現代のものに近いですね。
鎌倉時代~室町時代
鎌倉時代から室町時代には町湯という初代銭湯が作られ、貴族などは自分の屋敷に入浴施設を作り
客人を呼んで宴会とセットの「風呂ふるまい」を行うなど贅の限りを尽くしました。
お風呂を持っていない貴族も町湯を貸し切って宴会「留風呂」をしたという記述もあります。
武士の間では湯治が流行り、伊豆の走湯」と呼ばれていた熱海温泉・伊豆山温泉(静岡県)では、武士や高僧などが湯治したという記録が残されていたりします。
鎌倉時代以降の文献には関東・東海・東北・甲信越などの多数の温泉地が登場します。
武田信玄や真田幸村などの戦国武将の「隠し湯」を持っていたのは有名
江戸時代になると銭湯や温泉が普及した。
江戸時代になると江戸の町には銭湯が作られ庶民が汗を流していました。
最初は蒸し風呂のような銭湯で湯女がいたり男女混浴でした。
戸棚風呂と呼ばれ浴槽の底に膝をひたす程度に湯を入れ、下半身をひたし、上半身は湯気で蒸す仕組みです。
また湯気が外に出ないように三方はめ板で囲まれた小室に浴槽を置き、出入口に天井から低く板をさげ、湯気の逃げるのを防ぎました。
これをざくろ口といい、江戸っ子はざくろ口をくぐって湯屋に入っていました。
銭湯には体を洗ってくれたり髪を整えてくれる三助や湯女といった人たちがいました。
湯女は遊女のお仕事もしていて全盛期は吉原よりも流行っていたと言われていたりします。
この辺りは古代ローマの浴場と似たり寄ったりですね。
1657年に江戸幕府が湯女を銭湯におく事を禁止したので廃れましたが
他にも二階にくつろぐスペースがある銭湯も
この辺りは現代のスーパー銭湯に通ずるものがありますね。
1813年頃の江戸市中には、約600軒もの湯屋があったといわれています。
「寛政の改革」によって男女混浴は禁止されるものの、改装費がかかることから、浴槽を板で仕切る程度で厳密に区別はされていなかったそうです。
禁止はされていたものの規制はゆるくてなんやかんや明治時代までは混浴文化が続いたとか
江戸時代になると平和になった影響でみんながあちこち旅行へ行くようになったので温泉も流行ったと言われています。
家風呂も江戸時代に普及しはじめたようです。
昭和~現代
昭和になると家風呂が広まってきました。
経済成長期、 暮らしが豊かになるにつれて家にお風呂を作る人が増えたり、風呂つきの団地が増えたりしたことで「おうちにお風呂がある生活」が広まっていきます。
その結果、銭湯は減少していったという事です。
まとめ
お風呂文化はかなり古い
蒸し暑い地域にはあまり浸透しない文化であったけど
寒い地域には広まっていった感じですね。
古代ローマの時代に浴場があったのは知っていましたがまさかメソポタミア文明やインダス文明にも浴室が作られていたのはびっくり
日本でも不確かながら縄文時代の遺跡に温泉を利用していたのではないかという遺跡が出てきたりして非常にロマンがありますね
日本書紀にも温泉が記述されている辺り、温泉に入る文化はかなり古いのかもしれません。
お風呂の文化が仏教由来で日本に入ってきたというのも面白い
こういう歴史を知るのはすごく面白いですね
ではでは(^ω^)ノシ
この記事もおすすめ
ヒゲを伸ばしていると歯が脆くなるという迷信がある!エセ科学にしてもこれはひどい